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曽野綾子 甘い期待は望みえない

私たちは、

若い時代には、

人間に出会うことに対して、

かなり甘い期待

を持つのである。

人間は自分本位であるために

自分中心で物事を考えがちとなる。


特に

経験が少ない若い時には

自分中心に物事が廻っていると

勘違いをするのだ。


自分のことしか見えていないから

思うように

人が

自分のために動いてくれないことに

落胆し

失望する。


けれども

他の人から見ると

自分だって

その落胆や失望の対象となり得るというのにだ。

それは

「適当な人間関係」

というものが

この世に

あり得そうに

思うからである。

自分中心だから

自分勝手に

いいように思いこむ。


異常な期待感を持つ。


期待はより大きくなり

ある日

突然に

破裂し

しぼんでしまう。

孤独な時に

話に来てくれ、

忙しい時には

適当にほっておいてくれる、

というような

そんな友達である。

そんな都合のいい人なんていないのに。

逆に

人をそんなふうに扱うことは

いいことではなく

むしろ

悪に近い行為となる。

しかし、

そのような

適度な人間関係

などというものは、

通常

望み得ないものなのである。

人に対して過剰な期待を持つこともなく

だからこそ

自分もそんなふうにできる人間でもないと

うなだれているしかないのだ。


結局は

自分の事は

自分で何とかするしかない。


助けてくれたり

やさしくしてくれたりする人が

もしも

いたとしたら

ほんとうに

大切にしなければならない。


そして

今度は

自分が

そんな人間になって

生きていくことが

大事なのです。


自分を自分で認めて


自分で自分の事を

いつも愛することができるために。

『人びとの中の私』

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