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曽野綾子・「おかしさ」と「おろかしさ」と「けなげさ」

やはり年をとって体の衰えを感じる頃から、
勤勉とか、
向上心とかに対する
一種の
「おかしさ」も
「おろかしさ」も
(そしてもちろん「けなげさ」も改めて)
わかって来るのである。

『中年以後』

体の衰えを感じる頃から
つまり
あとどれくらい生きられるだろうかと
死を意識するようになってくる頃から

それまで生きてきた中で

どうしてあんなに頑張ってきたのだろうか。
どうしてあんな風に世の中に流されてしまったのだろうか。
どうしてそんなことを悩んでいたのだろうか。
何に苦しんでいたのだろうか。
どうなりたいと感じてきたのだろうか。

などと
考えてくるようになる。

一生懸命なことはほんとうに素晴らしいこと。
それが自分自身の中だけから湧き上がってきたのであれば。

そうでなければ
いったい何だったのだろうと
「おかしくなり」
「おろかしくもあり」
ということになってしまう。

しかし
生きてきた環境という
枠の中で
できる限りのことをやり尽くす。
それも
納得できる生き方と言える。
後悔することはない。

そのけなげさを
改めてしみじみと思う。


さあ
年をとってきた今からは

一番大切にしなければならないことを
置き去りにしないように生きる。

一番守りたいものを
しっかりと守って生きていく。

その優先順位が
はっきりと分かるようになった。

それが
年をとるということなのだ。

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