自分が何かを書くときの思考とは
自分は気分が満たされていると、特に書くことがなくなるらしい。ということはきっと今は気持ちが満たされていないのだろう。心当たりはかなりあるが。本当に社会人になってからのほうが、学ぶべきことがたくさんあったように思う。
まず自分よりも大人な人たちはみんな素晴らしい人ばかりなんだと思っていた。圧倒的に性善説過ぎるこの仮説は、時を経るごとに脆くも崩れ去っていった。全くそうではなかった。汚い大人が多かったとは言わないが、自分の直感がどんどん正しいと思うようなことが多くなっていった。
幸いにも本当に友人関係には社会人では恵まれていて、いろんな素敵な出会いや経験を得ることが出来た。これは圧倒的に幸運だった。そして若い頃は出会ったひとはみんな友だちみたいな思考を持っていたけれど、あるタイミングでそれでは身が持たないことに気づいた。
人は何かしらどこかにキャパシティを抱えているが故に、その器を越えるようなものが押し寄せたときには、それは脆くも崩れ去ってしまいそうな気分さえある。だから決めた。ある程度の抑制が必要なことに気づいた。人間関係はその時々によって変化していくって単純なことに気づくまで、もしかしたらキャパオーバーだったのかも知れない。
常に変化をしていいんだ。ということは極論イチローに教えてもらった。常に同じ型以上のものを模索する姿は、ある種人生にも近いなって感じた。いま十中八九でいろんな人に話を伺っていても、みんな何らかの変化を経て、その仕事に邁進をしている。それは自分にとっての希望でもある。
またそろそろ変化をしなくてはならない状況に置かれている今、自分がどんな答えを作り出さないといけないのか、それは自分自身もわからないまま、いまこうやって時間は勝手に過ぎていっている。
時間は誰でも同じ量の同じ流れが過ぎていくので、別に僕だけが有利不利なんてものはないけど、そのなかでどう振る舞うか次第では、それは有益にもなり不利益なものになりうるのは言うまでもない。
自分がどう変化していけるか、それはもちろん自分次第だ。誰かにアドバイスを求めても、自分が決断しないと何も始まらない。もちろん自分が何かを決断する前に、決断を迫られてしまうことになってしまうタイミングだってある。そこで思いっきり動揺するようなことは、さすがにもうない。転職しすぎたせいかもしれないけど(笑)。
何が正しいとか正しくないとか、それはそれぞれの立場から見ればどうにだって言えることで、そこはどうでもいいけど、心境的にはどうしようもないこともあるけど、とりあえず前に進むしかないんだってことは、今のどんな状況でも代わり得ないことであると思う。
もうすぐ、もう5月。
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