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ぼくのまわりは、時空が歪んでいるのかも知れない問題。

いろんな人にそれぞれの尺度で常識ってあるわけで。たまに営業電話とか掛かってくるじゃないですか。せめて資料だけでもって言うじゃないですか。しぶしぶ連絡先を教えると「すぐに資料を送ります」となる。この「すぐ」って感覚って、みなさんどうなんでしょう?

「すぐ」はすぐでしょ。as soon as possible じゃないのかなって。平気で3時間後にメールが届く。3時間が俗にいう「すぐ」なんだとしたら、なんだろう自分の感覚が間違っているのだろうかって。もし間違っているんだとしたら、時空が絶対歪んでいるに決まっている。そうに違いない。そんなことを思うわけで。

僕がもし「すぐ」に送るって確約した場合は、きっと5分以内には送ってる。まず最優先に送る。それは間違いない。

他にもあるのは、「今」やってます。みたいなことがあるけど、どうしても「今」やっていると聞くと、ものの数分で結果が出る気がするけど、それが全然数時間後だったりすると、やっぱり時空が歪んでいるとしか思えなくなる。だから何なのだろう、自分の感覚が間違っているのか、なんてことを思うこともしばしばある。

別にそれでこうしろ!みたいなことを相手にしようとは思わない。時間って有用だし限りがあるから、それをどう使うかはその人次第なんだよね。なんかもったいないと思ってしまう。そこで自分を優先するか相手を優先するか、頼まれたことを優先するかで、スタンスは違ってくるし。個人的には頼まれたことを最優先にするようにしている。

「今」と「すぐ」というワードは非常に危険だ。少なくとも僕の感覚では、2時間後とか3時間後は「今」でも「すぐ」でもない。だから時空が歪んでいるのかも知れない。なんて妄想をしてしまう。世界線間違えたっけな?みたいなことが起こりうる。

だから逆にいえば、「すぐ」みたいなワードは容易に言わないほうがいい。「やってました」とか、「でも」も正直辛いワードちゃうかなって思う。言いがちな言葉だったりするんだけど、言い訳ワードだからっていうのと、じゃあもう出来るよねってなるわけ。でも出来ないわけ。じゃあしょぼーんとなるわけ。そしてまた世界線が。。みたいになる。

だから要するに、余計なことは言うものじゃないし、出来ることは出来るだけ言わないほうがイイ人のほうが圧倒的に多いという話なのであります。

言葉ひとつで関係性が変わるから、面白いって側面もあるんですけどね。

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