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彼女たちに、なんて言えばよかったんだろう。

最近ゆるく転職活動をしている。そんななか、女性の生き方を応援する仕事に興味があることに気づいた。

「どうして惹かれるんだろう」

掘り下げてみたら、過去のできごとがぜんぶパパパパーンと繋がった気がした。

ぜんぶ繋がっても、いまだに分からないことがある。「あのとき、彼女たちになんて言えばよかったんだろう」。
その答えがいつか分かる日のために、書き留めてみる。

初めて女の子、もとい女性の苦しさを感じたのは、祖母と母の人生を知ったときだった気がする。祖母も母も自分の意志でその人生を選んだのだろうから、それを苦しいと感じたのは私の問題なのかもしれない。でも私は新聞や本から、彼女たちの人生は時代の後方に位置していると知っていた。そして彼女たちが被害者として嘆く姿をずっと見てきた。「つらい」「離婚したい」「~のせいで」。
もともと気の強い性格も相まって、「私はちがう人生を生きよう」。そう誓ったのが最初だった気がする。

その次に女の子の苦しさを感じたのは、仕事で関わった女の子ふたりが死を選んだことだった。
当時働いていた地域は令和の時代に「女の子に教育はいらない」と言えてしまうところだった。一部の集落では、外国から200万円で女性を買ってきて跡継ぎを作っていた。そんな現実をきっと知っていて、彼女自身の苦しみも抱えて選択をした彼女たちに「何も言えない、否定もできない」と思った。
もとより個人の判断を非難する権利なんてないけれど、それでも「もう少し生きていたらいいことあるよ」「ここから離れればいいことあるよ」と別の方法を示すことすらできなかった。

今、私はまだ祖母と母と違う「苦しくない女性の人生」を歩めている気がしない。結婚生活は幸せだけど、キャリアの不安が大きい。

新卒で就職したけれど、同期の男の子は25歳になる頃には全員やめた。彼らは「結婚を考えると非正規はキツイ」と口を揃えた。それを受けて、偉い人は「やっぱり男の子から順番に」と正社員への登用をすすめた。そんな仕事で非正規雇用のまま残っていく20代の女たち。

女はいいの?と不思議だった。過敏と思われるかもしれないけど、ほんとは私だってこんなこと考えたくない。でも現実だから。

現実は私の雇用形態だけで終わらない。

私の仕事である子どもに関する相談に来るのは、ほとんどが女性。少ない有休を使って相談に来てくれる。

残業代がつかない非正規雇用の私と、有給の少ない非正規雇用のお母さんで、どうやって次回の都合を合わせるか考える。

そんなお母さんたちを、正社員のお父さんたちが、「お前がちゃんとしないからだ」「甘やかしてる」と責める。私も正社員の先生たちから、「もっとちゃんとするように伝えてほしい」と言われる。お母さんたちは「私なんかが母親だからこの子がこんな風に…」「育て方が悪かったのか」と自分を責める。でも話を聞いていると、毎日本当にギリギリの生活だ。そうまでして守ってきたお母さんのキャリアでも、子どもが不適応を起こしたら「仕事なんかしてるから」と言われて退職するしかなくなる。

なんて地獄絵図なんだろうと思った。

だから、転職を考えはじめた。

子どもを持った女性に与えられる数々の負担が、私にはとうてい「わが子への愛があればできる」で済ませていいものだとは思えなかった。そんな女性たちを見ている子どもたちは、「自分のせいでお母さんが大変な思いをしている」ことくらい理解できる。祖母と母と見ていた私は、まさにそう思っていた。

なんだか暗い話になってしまったけれど、「女性が元気でいること」、「他人の価値観ではなく自分の価値観で生きること」は、きっと周りの人みんなを元気にする大きな一歩になる。そう思うから、女性の生き方を応援する仕事に惹かれるんだな。特に今いいなと思っているのは「私なんて」と言わないでいいような世界ができそうなお仕事。

いつか、私が今まで出会ってきた女性たちに「もう少し生きていたらいいことあるよ」「毎日を嘆かなくてもいい方法があるよ」と示せる人になりたい。選ぶかどうかはその人次第だけど、私は私の信じる形で一つでも選択肢を増やしていたい。

私のキャリアをちゃんと成り立たせながら、女性の選択肢を増やす。
転職がんばろ。

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