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【書く習慣チャレンジ】今1番やりたいこと

書く習慣チャレンジNo3!

テーマ:今1番やりたいこと

パッと具体的にこれ!とは出てこなかった。目の前にやりたいことはたくさんある。毎日毎日、「今日帰ったらこれしよう」「この本が読みたい」「これに挑戦したい」そんな気持ちで過ごしている。
でも1番って問われると答えに詰まった。一瞬1番やりたいことなんて、無いのかなって思うくらい。
だけど考えていくうち、一つに絞れないだけだって分かった。こんなにやりたいことに溢れていて、無いなんてことあるかよ!とツッコミかけた。だけど、時々無性に人生に自信が無くなるから。
古賀史健さんが、「人は解を得るために書くのだし、解がわからないから書くのだ。」と書いていた。

わからないことがあったら、書こう。自分の言葉に“翻訳”しよう。そうすればきっと、自分なりの解が見つかるはずだ。

20歳の自分に受けさせたい文章講義 著:古賀史健

私のやりたいことだってそう。書けば、自分なりの解がちゃんと見つかった。
やっぱり書くって最高だ。

継続の成果を作りたい

めちゃくちゃ大きな話になる。でも、大きく語るのが今の私にはしっくりきたから、大きくていいのだ。

今1番やりたいこと

継続して続けて成果物を作りたい

具体的にいえば、スキルアップ。
そして、キャリアだけじゃなくても「何事も続けていたら何かにはなる」を実感したい。

先のことを考える幸せを味わいたい。

継続するという行動も、継続の産物も、先のことを考えてないとできない。
先のことを考えるって幸せだ。

私は今まで、先のことをほとんど考えてこなかった。
今までは目の前のにんじんを追って走ってた感じ。今は小高い丘から広い世界を眺めてる。

先を見据えるって当たり前のようで、本当は儚い。
先のことを考えるのって、今が安全でこそ。その安全で幸せな今を保ちたいからこそ。
その上で、守りたいものやりたいことがあって成り立つ。
安全と大事な物が揃ったとき、本当の意味で継続して成果物を作れるのだと思う。
例えば、災害が起きたり病気になったり。身の上に不幸が起こった時に、1番に危うくなるものはそれまでの人生を掛けて継続してきた事柄なんじゃないかな。

生まれてきた意味はなくていいのかもしれない

私はずっと、人に求められるとか大義的な意味で、「私って何のため生まれてきたんだろう」そう思い続けてきた。何のために生きてるのか分からない。役に立たない自分の存在が危うくて、眠れない夜を何度も過ごした。

だけど、別に私がいなくても、世界は回る。幸せな人もいる。卑屈じゃなくそう思えたとき、言葉にできない感覚が変化した気がする。あれがなんだったのか、実際に何が変わったのか今はまだ言葉にできない。いつか書けるかな。

別に私がいなくても、世界は回る。だけど、人生を終わらせる勇気もない。自分以外にとっては、究極どうでもいいとしたら、私は好き勝手に何がしたいのか。めちゃくちゃ好きにしていいとしたら、私は大好きなことをライフワークにしたい。書くのも大好きだからもっと書きたい。ふとそう思った。
今まではしてこなかった考え方。一気に景色が明るくなった気がした。なんでも好きにしていいと言われたとき。それでもやりたいことを継続したい。それでもやりたいことで、成果物を作りたい。
そう思えたんだよな。
スキルアップしたいとか、成果を作りたいっていうのとは少しちがう。何がちがうかって、今の私には「先を見据えられる」のが嬉しくて仕方がないってこと。

どうせ生きていくなら、楽しくしよう。

先を見据えて考えてこそ、スキルアップして備えたり、コツコツ成果を作ったりできる。それがうれしくて、人生を味わって生きてるなって感じ。
穏やかな日々の中でこそ、今日何食べようかな〜って思うのと似てる。
今すぐ無理そうなことでも、長い時間を掛ければできるかもと思える。
やっと手に入れた新しいおもちゃを、今はまだ手に持って見つめている。ここからどうやって遊ぼう?誰と、どこで遊ぼう?
まだまだこれから。とっても楽しみだ。

今まで考えてこな過ぎて、方向性が全くない。やりたいことがたくさんたくさん散らばってる。

どうせ生きていくなら、楽しくしよう。
これから私は、継続して成果物を作りたい。これが今の1番やりたいこと。

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