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『DVから逃れる』 あるDVサバイバーの記録 #006

#006  シェルターでの生活①

シェルターでの生活はとても退屈だったが、離婚調停の手続きや退所後の生活に向けての準備に忙しかった。
個室で自炊するスタイルのシェルターのため、毎週決まった額を渡され買い物をする。買い物は主にボランティアの人たちが週に2回ほど連れて行ってくれた。そのほか近くのコンビニなどには許可があれば行けたので、気晴らしにアイスクリームを買うこともできた。

シェルターには小さなお子さんがいる若いお母さんが多いが、実は高齢の方も多い。年齢問わずDV被害を受けることに驚いた。

私は1番下の子と2人で避難してきた。子供はシェルターにいる間は学校には通えない。学習については元教師のボランティアが週に何度か見てくれる。この方は今もお世話になっていて、子供の塾の代わりになっている。
外にも出れず、学校にも行けず、子供はとにかくヒマだった。テレビを見るか、寝るか、事務所から借りた古いゲームをするくらいしかすることがなかった。
転校の手続きはDV避難の場合は、住民票が元の場所のままでもできる。職員が付き添い教育委員会、学校へと出向いた。

大学に入って遠方で暮らす上の子たちにはDVの証明書を送り、給付奨学金の手続きをするように促した。幸い、2人とも受けることができたが大学によって対応に差があり、周知を徹底して欲しいと思っている。

自分の親にはシェルターに入ってから連絡をした。避難をする時に実家に帰られる方も多いが、遠方とはいえ元夫が実家の場所を知っている以上、帰るのは危険だと役所からも止められた。電話をすると父は泣いていた。案の定、元夫から親に連絡が行っていたらしく、「もう2度としない、反省している」などとモラハラ夫特有のお決まりの泣き落としをしていたらしい。謝る対象がそもそも間違ってると思う。

家を出てからシェルターに入っている間、元夫から私に直接連絡はほとんど無かった。しかし、クレカの家族会員カードが家を出てからたった3日で使えなくなっていたのと、上の子たちにLINEで「親権は諦めたくない、母の暴挙を止めてくれ」と送っていたのがとても気持ち悪かった。相変わらず反省など全くしていないのが本当によくわかった。

そして、職を失い、馴染みの薄い土地に来た私は生活保護を受けることになった。
いや、でも待って、私今まで働いてきたし、新しい土地で仕事を探そうと思ってたのに…。何故生活保護を受けなきゃいけないの?と頭の中は疑問でいっぱいだった。

DV被害者はこの後に続く調停や裁判で精神的なダメージが大きいこと、利用できる制度は利用して生活の安定を図ること、今まで一生懸命頑張ってきたのだから少し休んでも良いんだよと職員は言っていた。
とは言っても自分の財産をゼロにして住むところも制限されて地方なのに車も持てないなんて終わってるわ…と惨めな気持ちになった。
まさか自分が生活保護受給者になるなんて思いもしなかった。逃げるということはこういうことか。決して生活保護をバカにしてる訳ではないが、自分のつまらないプライドと今後の不安からすごく落ち込んだのを覚えている。
自分の生命保険やこっそり貯めていた積み立てNISAも解約せざるを得なかった。

役所へは職員が同行し生活保護の手続きをした。
保護の申請をするときに「扶養者照会」という制度があり、3親等内の親族に扶養できるかどうか連絡が行く。もちろん元夫も対象になるがDVの場合は連絡が行かないようにしてくれるので、この点は安心できた。
DVシェルターのあるこの町ではDV被害者が生活保護を受けるケースはおそらく多いので慣れているのであろう。スムーズに手続きは進んでいった。

次に、長丁場になるであろう、離婚調停の準備である。
シェルターの方から紹介された弁護士に会いに行くのであるが、その話は次回へ続く。


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