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タスマニアン・サモアン・ニューイヤー

タスマニアに来てから丸3日の日数が過ぎた。

先述のように、当初は2日から始まるだったチェリーピッキングの仕事が11日から開始に変更となったため、ここ数日は(そして向こう1週間も)元気に無職として過ごしている。

ギリギリのところで「住所不定無職」ではなく「ただの無職」でいられるのは、仕事を斡旋してくれた人材派遣会社が我々をバックパッカーホステルに割り当ててくれたからである。今日はこのホステルに到着した日、つまり大晦日の出来事について書き残そうと思う。

12月31日の午後7時ごろ、ホバート空港に到着した我々は、ロビーで早速タスマニアデビルの銅像を見かけ、「本当にタスマニア島にやって来たんだな…」という実感を噛み締めながら、Uberに乗り込んだ。

そこから1時間ほどして、到着したのは、マジで何もない場所にあるプレハブ風の施設。どのくらい何もないかというと、最寄りのバス停まで徒歩26分、最寄りのスーパーまで徒歩40分。「モヨリ?ナンダソレ、食えるのか?」というぐらい、何もない。なお、無事到着したことを知らせるため家族に写真を送ったところ、母から「馬房?」と尋ねられた。違います。

そして、そんな馬房同然のこの宿に足を踏み入れて最初に目が合ったのは、椅子に腰掛けてくつろぐ、褐色の肌をした半裸のごっついおじさんだった。

なんか、宿の雰囲気が思ってたんと違うな…。

そんな思いを抱えながら施設を探索していると、同じような風貌のおじさん(時々お兄さん)達が部屋からバンバン出てくる。ざっと20人ぐらいはいるだろうか。ほどなくして、我々は彼らがこのホステルの居住者の過半数を占めていることを察した。

話を聞いてみると、彼らは南太平洋にある島国、サモアの出身だという。一応バックパッカーホステルと聞いていたはずだが、もう全然普通に移民の雰囲気である。
そんなサモア人の皆さんは、2023年をより良い形で締めくくろうと、キッチンに集まり、日本のスーパーではおよそお目にかかれないような謎の虹色の魚を楽しげに調理していた。

一方で、我々日本人夫婦は、ケアンズで買っておいた日清味噌ラーメンの袋麺をこちらも負けじと調理する。こちらはオーストラリアをほぼ縦断して疲労困憊で、もはや今日が大晦日であることをほぼ忘れていた。だが、日清のラーメンはすごい。どんな時でもめちゃくちゃ美味しい。

話が逸れたが、辛うじて麺類というだけの普通の年越しディナーを済ませた我々は、「とにかく一旦寝よう」ということで、コイン式のシャワーを浴び、床に就いた。
すると、どこからか歌声が聞こえてくるではないか。

耳を澄ませるまでもなくガンガン聞こえてくる大音量の謎の合唱は、どうやらサモア人集団のものらしかった。誰かがギターを弾いている。そしてハモっている。しかも普通に上手い。

「これがサモアにおける『旅立ちの日に』みたいな立ち位置の曲なのかな…いや、年末だから『蛍の光』かな…」などとぼんやり考えながら、気がついたら眠っていた。
これが私の2023年最後の記憶である。

紅白歌合戦は観られなかったけれど、サモアの(きっと伝統的な)曲を聴くことができた。たまにはこんな年越しも悪くないのかなと思った、そんな大晦日だった。

というわけで、今現在の目下の課題は車探しと安住の地探しである。こちらについても追って更新していきたい。

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