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甲子園のグラウンドに女性は立てない?「女人禁制」の甲子園【高校野球が日本を滅ぼす#1】


「甲子園は女人禁制である」ー


数年前、甲子園でこのことを象徴するような「事件」があったことを覚えているだろうか。


その「事件」は夏の甲子園、第98回大会(2016年)に起こった。

例年、甲子園出場校は開会式に先立って「甲子園で練習ができる日(甲子園練習)」が定められている。

その年の大分県代表として出場した大分高校の甲子園練習にて、その「事件」は起こった。

他の高校と同様、大分高校のメンバー達が公式戦用のユニホームに袖を通して甲子園練習を始める。

しかし、他の高校とは唯一「異なる」光景が、大分高校の甲子園練習で見受けられた。

大分高校の女子マネージャーが、制服ではなくユニホームを着て、さらに甲子園練習の補助員として、甲子園のグラウンド内に立って参加をし始めたのである。


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大分高校がシートノックを始める。慣れた手つきでノッカーへボールを渡す女子マネージャー。

すると開始から15分程度。大会関係者が練習を中断させた。なんとその女子マネージャーに対してグラウンドから出るよう指示し、補助員としての練習参加をやめさせたのである。

やむなくその女子マネージャーは大会関係者の制止に従い、甲子園のグラウンドから退出するに至った。


このような出来事を受け、大会運営について様々な批判が飛び交った。


「なぜ練習に補助として参加してはいけなかったのか」

「男性は良いのに、なぜ女性だと甲子園のグラウンドに立つことを許されないのか」

「これは女性差別なのではないか」


さて、このような「事件」について、あなたはどう思うだろうか。

女子の練習参加を禁止し、甲子園のグラウンドから退出させたこの大会関係者の動きは、果たして「不当」だったのだろうか。それは「女性差別」だったのだろうか。


甲子園の大会規定


まずこの問題について考えるにあたり、甲子園の大会規定について触れておきたい。大会規定では、一体どのように定められているのであろうか。

まず、大会規定の参加資格には、「その学校に参加する男子生徒」となっている。

また、「練習補助員とボールボーイは男子部員に限る」ともなっている。少なからず、甲子園大会において女子は試合に出場することができないことはおろか、補助員としても参加することができないということだ。これはおそらく甲子園大会のみならず、各地方大会においても同様に定められているのではないだろうか。

しかし、「甲子園練習」においては、その規定は「ユニホームを着ていない記録員は練習に参加できない」とされており、男女に関する記載はなかった。その為、大分高校側が「甲子園練習であれば女子でもユニホームを着れば補助員として参加することができる」と「勘違い」をし、今回の事件が発生してしまったという。

それでは、なぜ女子がグラウンドに立つことは許されないのであろうか。

基本的にスポーツは男女別で行われている(もちろん例外もある)。その是非については本記事の大筋から逸れてしまう恐れがある為ここでは触れないこととするが、「男子野球」において女子が選手として出ることは許されていないことについては先の規定にも定められている通りである。また、その規定に関しても、個人的には一応納得はしている。

それでは、補助員としての練習参加はどうなのだろうか。

本問題に関しては、女子が補助員として参加することを禁止する理由は「危険防止」の為であり、大会規定にも基づいて正当な判断のもとの行為であった、と大会関係者は述べている。


女子の練習参加は「危険」であるから、その「防止」の為に女子の参加を認めない方向で進めているというのである。

確かに、「危険」である、という文面については私は同意である。

野球、特に「硬式野球」というのは非常に危険なスポーツだ。

硬式球を触ったことのある方はご存知だとは思うが、硬式球はその名の通り、非常に硬い。あのボールを持って殴られるだけでも十分凶器になり得る。

ちなみに私は中学校までは軟式、高校から硬式での野球経験があるのだが、高校1年時の練習試合でのそれにまつわる「苦い思い出」を未だに忘れない。

打席に立ち、相手投手のゆるいカーブ(おそらく90~100km/h程度)が背中付近にきたので、軟式野球のノリで背中を向けて避けずにあたりにいった。緩いボールだったということもあり、当たった後の痛みについてはそれほど考えていなかったのだが、いざ当たったらそれが思いの外痛く、というより想像を超えた痛みで、打席内で倒れて悶絶し続けた苦い記憶がある。当たりどころが悪かったのかもしれないが、はたから見たら「ゆる〜い変化球」に当たって死ぬほど痛がっている選手はさぞかし滑稽に映ったであろう。周りからもさっさと一塁に歩けよ、といった雰囲気を醸し出されていた。今思い出しても恥ずかしい。

さて、自分語りはさておき、私が伝えたかったことは、硬式球はとにかく痛い、ということだ。速球が頭部に当たればたとえヘルメットを被っていたとしても精密検査は必須であるし、頭部以外であっても当たりどころが悪ければ骨折等の怪我につながることはもはや硬式野球界隈では「常識」である。さらに私の知り合いでは、ライナーの打球が頭部に当たり頭蓋骨が陥没したというエピソードも聞いているし、メジャーリーグでは打者の放った鋭い打球が観客席の一人に直撃し、失明をしたエピソードも知っている。他にも様々な事例があるが、要は硬式野球は非常に危険であるということは疑いようもない事実である。

そのようなことを考えた際、やはり一般的に男子よりも身体能力や頑丈さが劣ってしまう女子が練習に参加することは「危険」だという理由で禁止すべきなのであろうか。

私としてはそうは思わない。選手として出場することはともかく、補助員として練習に参加する権利を持つことについては問題はないと考えている。少なくとも、「女子」と一括りにして練習参加の権利を剥奪することには問題があるのではないか、と主張する。

もし「危険」だとして「女子」の補助員としての参加を認めないのであるならば、他の様々な事例についても検討をする必要がある。

それでは、その様々な事例についてこれから紹介していこう。


「ボールガール」の存在


最初に挙げる事例は、「ボールガール」の存在である。

先ほど、甲子園大会において女子の練習補助員としての参加は禁止されていることについて挙げたが、プロ野球の世界では「ボールガール」というものが存在している。その名の通り、球審にボールを渡したり、ファールボールを拾ったりと、試合を円滑に進める為の補助員のうちのひとつである。しばしば彼らの存在を「ボールボーイ」と呼ぶが、その女性バージョンとして「ボールガール」がいるのである。


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さて、この件についてはどうだろうか。補助員とはいえども、先に述べた通り「女性」であるから「危険」なのではないだろうか。


ちなみに、プロ野球における「ボールガール」は「大人」が務めている。

すなわち、彼女らは「大人」であるから問題ないとされているのだろうか。「子ども」であれば「危険」とみなし、その身体上の安全を守る為に彼女らの権利を認めないことは合理的な理由として成立するのだろうか。


小中学生段階で男子とともに硬式球でプレーする女子選手


加えて、もう一つの事例を紹介しよう。リトルリーグ、シニアリーグ等での女子選手の存在である。これらのリーグはいわゆる小学校・中学校段階において設立されているリーグのことである。これらのリーグは、軟式球ではなく硬式球を使用している。もちろん軟式球と比べて、硬式球の危険性が高いことは先に述べた通りだ。

さらに、これらのリーグでは女子選手が男子選手に混ざって出場することが認められている。


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さて、この場合についてはどうだろうか。もちろんここでの「女子」は「大人」ではない。ましてや小中学生だ。危険ではないのだろうか。それとも、ここにおける「女子」は「マネージャー」ではなく「選手」であり、ある程度鍛えられているからその危険性については問題ない、ということなのだろうか。


選手としての経験があれば補助員としての参加は認められる?


さて、それではこの2つの事例から新たに1つの仮説を立ててみたいと思う。

その仮説とは、「選手としての経験があれば補助員としての参加は認められるか?」だ。

例えば、シニアリーグまで男子と同様に硬式球で選手として活躍し、高校からマネージャーとして従事することにした場合。

もしくは、マネージャーとしてではなく、「女子」だからという理由で男子高校野球の試合には出れないが、一選手として男子とともに練習してきた場合。

この2つの場合に共通する事柄は、「プレーヤーとしての硬式野球経験がある」ということだ。このケースについては、大会関係者はどう考えるだろうか。

彼女らは硬式野球経験があるからそこまでの危険性はない、として、女子が補助員として甲子園のグラウンドに立つことを認めるだろうか。それとも、いややはり「女子」だから、という理由でグラウンドに立つことを禁止させるだろうか。

これはあくまで私の推測であるが、仮に該当の女子がいくら硬式級に対して慣れていたとしても、「女子」だから、「危険」だから、という理由で大会関係者は甲子園のグラウンドに立つことを禁止させると思われる。


これまで何度も述べたが、硬式野球は確かに「危険」である。しかし「女子」は「危険」だから、というジェンダーバイアス的な理由で一種の権利を認めないことは、いささか不当なのではないだろうか、と私は思う。


それともやはり、甲子園には「女人禁制」というある種の宗教的文化が根付いているのだろうかーー


甲子園は「女人禁制」か?


それでは、次に甲子園が「女人禁制」である、という前提のもとで話を進めることにしてみよう。

この話を進めるにあたり、「女子高校野球」について触れておきたい。

もしかすると世間的にはあまり知られていないのかもしれないが、高校野球は「男子」だけのものではない。チーム数は「男子野球」に比べれば圧倒的に少なく、数的にみればマイナーとも言えてしまうのだが、きちんと「女子野球」というのも存在している。さらに、これもまたチーム数は少ないが、「女子プロ野球」というのもある。

さて、この「女子高校野球」であるが、当然全国大会もある。ちなみに、もはや改めて述べる必要もないのかもしれないが、男子の高校野球全国大会の球場は「甲子園球場」である。それでは女子高校野球全国大会はどこで行われているのだろうか。

その答えは「つかさグループいちじま球場」(兵庫県丹羽市)である。


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新型コロナウイルスの影響で2020年大会は中止とはなったが、女子高校野球は2020年で24回という全国大会の歴史がある。

もちろん歴史を重ねていけば、この球場が女子高校野球の「聖地」として甲子園と同様に常識的なものとして位置付けられるかもしれない。しかし、上の写真を見て頂くとお分かり頂けるように、やはり甲子園と比較するとどうしても見劣りしてしまう。

おそらくこの球場と甲子園球場、どちらでも試合が可能だとすればどちらで全国大会を行いたいか、と女子選手に問えば、過半数は「甲子園球場」と答えるのではないだろうか。

私は思う。女子高校野球の全国大会も甲子園球場で行うことはできないのだろうか。やはり甲子園が「女人禁制」であるというのであれば、その実現は難しいのだろうか。それともまた何か別の理由でもあるのだろうか…

「女人禁制」であること以外に理由があるとするならば、おそらく興行収入上の理由があると思われるが、高校野球という部活動の全国大会においてそれを理由に持ち出すのはあまりにもふさわしくないと言わざるを得ないわけであるが…

百歩譲ってその理由を認めるとするならば、男子高校野球の全国大会と日程を混ぜれば良いのではないだろうか。そうすれば甲子園人気に乗じて、女子高校野球の知名度も注目度も上昇することが見込まれる。


もちろん日程上の問題や開催時期の問題等、甲子園大会にはまた別の問題が存在するわけであるが、それとは一旦切り離して考えた際、女子高校野球の全国大会を甲子園で行えない絶対的な理由は何なのだろうか、と考えてしまう。


あれこれ考えた結果、やはり一番腑に落ちる理由は、「甲子園が『女人禁制』だから」であった。


…そもそも甲子園が「女人禁制」である明確な背景が私には分からない。


百歩譲って、例えば「相撲」という種目についてはその背景は理解できる(もちろん「女人禁制」を擁護するという意味では断じてない)。そこには日本古来の宗教的文化的背景があるからだ。

しかし、「野球」においてはさっぱり分からない。そもそも「野球」は日本発祥のスポーツではない。アメリカ発祥である。ましてや「高校野球」はわずか100年の歴史しかない。高校野球の「女人禁制」を正当化するには、相撲のような宗教的文化的背景から示すことは困難であるように思われる。


つまるところ「女人禁制」に関するこれまでの話をまとめると、甲子園に「女人禁制」の風土が蔓延しているのであれば、そのような風土は一刻も早く見直し、早急な改善を図るべきである、ということだ。


まとめ


冒頭で述べた、大分高校の甲子園練習にて起こった「事件」。本記事を読めばお分かり頂けるとは思うが、やはりここでの女子マネージャーに対する大会関係者の対応は、私としては納得できない。

もちろん、おそらくこれまでこのような前例が無かったということや、早急な判断が求められ、あれこれ考える時間がなかったということもあるかもしれない。

しかし、既にこの「事件」は前例として取り扱われるべき内容のものとなったはずだ。

この「事件」が、高校野球に蔓延しているジェンダー差別的問題の解消に繋がる嚆矢となることを望みたい。

また、ジェンダーに関する話は当然高校野球のみならず、日本社会(もっといえば世界的範囲)においても問題視されている所だ。

日本において非常に注目度が高い高校野球におけるジェンダー問題解消の為の動きが強まれば、それが日本全体の社会の変革に繋がる可能性も私は考えている。


あまりその動きが強まりすぎると「スポーツの男女別の制度を全て廃止すべきだ!」などという声もあがりそうで若干の怖さを感じてはいるが、とりあえずそのような声も含めて問題提起が出されること自体に関しては、私は悪い傾向ではないと思ってはいる。


今後も「高校野球」をひとつの柱として様々な問題点について取り上げたいと思っているが、それらが一種の問題提起として、様々な議論の起点となれば幸いである。



※後々この件について調べていったところ、どうやらこの「事件」が起こった年の翌年のセンバツ(春の甲子園大会)から、制限付きでの女子部員の甲子園練習参加が認められたようだ。もちろんこれによって根本的問題が解決された訳ではないが、傾向としては良いものであると考える。











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