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光の果物

最近視力が悪くなった。

と言うより、視界に入る人という人の身体や顔などの肌色が様々な色に見えるようになった。人々の身体が赤とかピンクとかブルーとか、緑とかグレーになっているのだ。
眼科に行くと医師に「おめでとうございます。第6感ですよ。」と言われた。果たしてめでたい事なのか僕には理解できなかったし、正直困惑した。人の体の色が見えるからって、一体何の徳になるのかさえも分からない。はっきり言って気味が悪いし目がチカチカする。
僕はこの第6感を疎ましく感じながら社会生活を数ヶ月送る事になった。

そしてその数ヶ月間、僕の視界はありとあらゆる人の感情の色を目にした。朝の満員電車の中でひしめく人々、街を歩く人々も全て色に満ち溢れていた。職場ではさっきまで機嫌が悪く赤黒い色に満ちていた上司が、スマホの画面を見た途端にピンク色にさっと変化したり。普段緑色の穏やかな同僚が、翌朝出社した時には悲しみに飲み込まれているような漆黒に近いブルーだったり。感情によって人々の体の色は変化しているという事が分かった。勿論、僕という人格と関わる時でさえも感情の色は変化をしていた。
僕は常に変化している人々の感情の波を知ってしまうことに耐えきれなくなった。自分が意図していない行動が、相手に大きな影響を与えているという事も。僕は自分以外の全ての人の心の感情を知っていく中で信じられないくらい疲れを感じた。そして他人が自分に対してどう感じているのかを知ることにも怯えるようにもなっていった。

僕は人と会いたくないと思うようになり、会社を辞め、家に引きこもるようになった。どうにかしてこの無意味な能力を無くしたかった。しかし、相談できるようなところはどこもない。心霊関係のところに問い合わせもしてみたが、金銭に関する話をしてきたので直ぐに電話を切った。
友達も恋人もいない僕は完全に孤立し疲れていた。

貯蓄が底をつこうとしていた。誰かを頼る相手も場所もない僕は、人気のない山奥で暮らすことの選択肢しか残されていなかった。都会から離れ、誰とも会わないような山暮らし。完全に自給自足だ。絶対的に苦労するのは目に見えていた。でも、これ以上感情の波に飲み込まれることはないと安心が勝っていた。

僕は山奥の過疎地域集落の一軒家を信じられない価格で購入し、農作業をしながらひっそりと暮らし始めた。どうしても街に出なければならない時はサングラスをして直視を避けて事を済ましていた。
山奥の集落に住んでいる人は、老夫婦1組と一人暮らしの老婆と僕の4人だった。だから、一日中誰にも会う事もなく、話す事もなく、ただ淡々と日々を過ごすことが大半だった。
半年くらいで「寂しい」とか、そういった孤独な思いもなくなりつつあった。毎晩、樹々が風でうねる音や、遠くから響いてくる獣たちの遠吠えや息遣いを聴いては、自分も動物になったような心地良い気分で眠りに落ちていた。
僕は自分が孤独と友達になったのだと感じていた。

冬に差し掛かる頃、僕はぼんやりと畑で焚き火をしていた。
コーヒーカップを持って、煙が透き通った青い空に吸い込まれて消えてゆくのを見ていた。自分がもう既にこの煙と同じ存在なのだと何となく思った。
山奥の生活を始めてからもう1年が経とうとしていた。もうほとんど人の感情を感じる事もないし、自分の存在もまるで透明になっているような気分でいた。
焚き火の後始末をしようと川へ水を汲みに立ち上がった時、近くで声が聴こえた。
「この種をここに埋めて育てなさい。」
僕は辺りを見回すが誰もいない。久々に聴いた人の声だったので僕は恐怖を感じ、たじろいだ。焚き火の炎が激しく燃え始めた。激しく、怒りにも感じられる炎の動きは僕を萎縮させる。炎はどんどん大きくなってゆき、突然ふっと消え白い煙のみになった。煙は尋常じゃない規模になっていた。その煙から、ゆっくりと人が出てきた。髭を生やした老人だ。ただ、体が半透明に透けている。僕はあっけに取られていた。
老人は着物の懐から巾着を取り出し、中身を手のひらにざらざらと出した。手のひらにはキラキラ光る色とりどりの丸い固形物が輝いている。老人はその輝く固形物に息を吹きかけた。すると固形物は方々に流れ星のように飛んでゆき、土の中へ埋まった。輝く種が埋まった場所から芽がパッと出た。その芽はみるみるうちに一気に大きな木に成長した。至る所にその木が伸びている。僕の周りには、あっという間に大きな木が何本も立っていた。僕は開いた口が塞がらなかった。
「この木に実る果物を街に出て売りなさい。それが君の使命だ。」老人は静かに、厳かにそれだけ言って小さな煙になって消えた。僕は不思議な木々の中に囲まれて何時間も呆然としていた。

半透明の老人が植えていった木は、小さな実をどんどんつけていた。太陽と月の光を栄養に、雨の降ったあとは尚更大きく育っていった。何よりもその果物は七色に柔らかに光り、僕を驚かせた。
僕は果物が手のひらよりほんの少し大きくなった頃に、光る果物を収穫し軽トラに積み込み街へ出た。

街に出るのはかなり久しぶりだった。
僕は一番近くの小さな街の道路脇に軽トラを止め、『光る七色フルーツ販売 一袋5個入り100円』の看板を掲げる。
僕は心臓がドキドキしていた。久しぶりの街、久しぶりの人混み、顔をあげるのが怖かった。サングラスをしていても人々の体の色が分かるからだ。久々に目にする街を行き交う人々は、以前よりグレーがかった暗めの色になっていたり、真っ黒の人も何人か居た。以前のようなオレンジ色や黄色などの明るい色の人がまるで居ないことに気付く。街頭ビジョンに映る政治家や芸能人もそうだった。何かがおかしい。僕が山奥に引っ込んで社会との関わりを一切絶っていた間、世の中は何かが変わってしまっていたようだった。
心の奥でざらざらとしたあの時の感触が蘇ってきた。
自分がこの第6感を発症し孤独になっていた頃の事を思い出す。生まれてから今まで人の顔色を伺って生きてきた僕は、第6感を通して他人の感情の色をはっきりと目にするたびに、気持ちを乱され揺さぶられた。他人の感情を感じ取るたびに、僕は自分の心がすり減ってゆくのを感じた。そしてそれが嫌で俯くことが多くなり、ついに人と目を合わせる事ができなくなった。
僕は嫌な記憶を思い出していた。
体が強張って呼吸が浅くなる。苦しい。
こんなにも僕にとって良い事が何一つないのに、街に果物を売りに来た理由はあの老人との不思議な出来事が気になっているからだ。
なぜ僕に第6感が起こったのか、なぜあの不思議な老人と出会ったのか、僕はその答えが知りたくてついに街に出た。本当は怖くて今すぐにでも帰りたかった。
でも、なぜこんなにも僕だけが孤独のままでいなけれなならないのかを知りたかった。
なんで僕だけこんなに酷い目に遭うんだろう。なんで僕なんだ。
僕はどんどん卑屈な考えに飲み込まれて、体が震えてきていた。

1時間ほど経っても誰一人、僕の存在にまるで気づかないような素通りばかりだった。
僕は震えで完全に冷え切った体を抱くように、椅子に座っていた。
「もう帰ろう」
僕は孤独を思い出しただけで、理由を知れるかもしれないと希望を抱いた事に対し失望をした。僕自身に失望したのだ。
「あの、試食はできますか?」
顔を上げると優しそうな顔をしたピンクグレー色の女性が声をかけた。隣りには小学2、3年生くらいの少年がいる。僕は不意打ちの状況に面食らったが、小さく「はい。」と言って果物を試食用としてカットし準備を始める。
僕は心臓が飛び出そうだった。手がさっきより震えている。
実は、僕自身この果物を食べた事がなかった。香りは爽やかな甘さを感じさせたので、味は大体想像できた。でも食べる気が一切起きず、実際のところは全然わからないので、実質この親子が初めての試食者になる。
カットされた果物の中は更に鮮やかな七色で柔らかく光っていてジューシーだった。グレー色の親子は爪楊枝で果物を口にする。僕はその様子を横目で静かに伺う。グレー色の親子はみるみるうちに鮮やかなサーモンピンク色に変化していった。母親は寂しげな様子から何かを受け取って感動したかのようにワッと泣き始めた。少年はオレンジ色に変化し、泣いている母親に抱きついた。僕は驚いて運転席にあったティッシュを「あの、これ」と言って母親に渡す。母親はお辞儀をしながら僕のティッシュで涙や鼻水を拭い
「美味しすぎます。あの、こちら全部ください。」と言ってきた。
少年は喜んで飛び跳ねた。
僕は更に面食らったが反射的に「分かりました。」と答えていた。
親子はそれを聴くと、キラキラと星のような輝きを放ち始めた。

軽トラにキラキラと輝く親子を乗せて、親子の住む家まで向かう。街外れの舗装されていない砂利道を進む。ガタガタと横揺れが激しい。「全部ください」なんて言うなんてかなり突飛な出来事だと思った。どれだけ大家族なのだろうか。
僕は、親子に質問されても「はい」とか「ああ」とかしか答えなかったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。むしろ居心地が良いとさえ感じた。

目的地に着いた。家の門には『かがやきの家』と木の看板が掲げてある。家は平家で大きく、広い庭に年齢がバラバラな子供たちが何人もいた。子供たちはほとんどが真っ黒で所々にカラフルな色が混ざっている子たちばかりで、不機嫌だったり不安な顔をしている。
僕は緊張しながら果物を子供達に一人ずつ渡す。子供たちは自由にその辺に座ってそれぞれ果物を食べる。子供たちは口に含んだ途端、笑顔になり次々と個性的な色に変わり、元気を取り戻したかのように遊び始めた。
黄色い女の子が濃紺の男の子の手を取り走る。二人の繋いだ手からキラキラと星が見え、二人の繋がれた手は優しい緑色に変化している。僕は目を見張った。
気づくとそんな子たちが沢山増えていた。子供たちは純粋に夢中になって遊んでいる。

どうやら、この光る果物は人を幸せな気分にさせるらしいと思った。果物はさっきより七色に光り輝いているような気がする。
しかし、僕自身はこの果物を食べてみようという気にはならなかった。食べたところで、あの子供たちや親子のように分かち合う人なんていないからだ。
僕は軽トラに残っている果物をさっさと降ろして、この場から早く去ろうと思った。キャップを目深に被り直し、帰り支度をし始めていると、さっきの親子の少年が近くにやってくる。
少年は「果物を切って」と光る果物を僕に渡してきた。
僕は無言でその果物を受け取り、呼吸がしにくくなっていることを感じながら一口サイズに切ってゆく。皿にのせカットした果物を少年に渡すと少年は皿を僕に差し出す。
「お兄ちゃんはどうして食べないの?」
僕はしばらく少年の言葉の意味を考えた。意味なんてないことは分かっていたが、考えられずにはいられなかった。
首を傾げる少年の瞳は純粋で透き通っていた。久しぶりに人と目を合わせた。しかし僕は「いや」と遠慮するが少年は「食べようよ」と譲らない。僕が困りつつも支度作業に向かうと
「お兄ちゃんはどうしてそんなに悲しそうな色をしているの?」
少年は訊いた。僕は手を止めた。
さっきと変わらない少年の澄んだ瞳に僕が写り込んでいる。
少年は僕の心の色が見えていた。
僕の胸の中でどんどん何かが解けてゆくのを感じる。
僕はその場でうずくまった。
僕は呼吸が深くなってゆくのを感じながら声をあげた。
出したこともない声だった。
ボロボロと藍色の涙が土に落ちていく。
少年は僕の手を握った。暖かく、少年の大きな心が流れてくるようだった。
僕は赤ん坊のように泣いた。

僕が泣き止んだ頃、少年は光る果物のキラキラした種を繁々と眺め
「この種を土に埋めたら木が育つかな?」と僕に訊く。
僕は小さく「たぶん」と答える。
少年は嬉しそうに未来に希望を見ていた。

さっきまで握られていた手は暖かさを胸に残していた。
僕は落ち着いていた。
そして子供たちの遊ぶ姿を見ている。
目の前の見える光景に、見えもしないキラキラとした輝きが瞬いていた。

果物は夕陽に溶けて透明になり、いつの間にか消えていた。



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