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#0401 桜あつめ

引っ越した先に桜の大木があり、私はその桜のしたで必死にかき集めている。

本来なら、まあ素敵と言ってビールでも飲みながら愛でたいところだが、そうもいかない。

秋には葉が大量に落ちるという。

木を植えるという行動は、人間にしかできない。
植えたからには、手入れをする義務がある。

盆栽が成り立つのだから、手の届く範囲で管理することが可能なはずなのだ。
それを怠り、あるいは知らずに、放置してきた罪は重い。

話は変わるが、目黒児童虐待死事件の母親の手記を読んだ。先ほど読み終わった。
母親が、とても素直に、正直に書こうという努力が見える仕上がりになっていた。なおかつ、誤解されることがないよう編集者による修正も適切になされていると感じた。

巻末には解説があり、論理的な分析がされている。

読んでいて、元養父が裁判で反省していると判定されるような言葉を選び、かつ、結果的に自分を擁護するような証言をすらすらしている様子が目に浮かんだ。

一方、母親は彼からのDVの影響が強くあり、事実を話したいがそれを話すと言い訳になってしまうから言えないということがとても多く、言葉や態度に現せることが少なく、知識の無い人には誤解をされやすいと思った。

さらに、読んでいる私にとっては、時々心臓がドクンドクンとなるほどストレスを感じるような場面があった。暴力を直接的に写真や図で示してはいないし、劇的にも表現していない。しかし、自分が想像したり、経験の中から嫌だったことや感じてきたことが呼び覚まされた感じがした。それを文章化してみたいと思い、noteを開いた。

大きな疑問、その1。
なぜ彼は暴力を振るうとき風呂場へ連れていったのか。
また裸にする必要があったのか。

想像するに、水で流したいことになる、ということなんだと思う。それ以外になにかあるのだろうか。


個人的には、教育としつけと虐待と洗脳が全部近い存在であると改めて強く感じ、とても気分が悪くなった。動悸がした。1人~大人数の集団を大人が1人で対応するなかでコントロールするためにDVと同じ手口がしばしば用いられていることを私は指摘したい。現場からはできないだろう。

違和感を感じているその時に、声にして表現しなければならない。伝えなければ繰り返される。阻止しなければならない。そう思った。

また、彼女のように、本を読み発見をして、以前はできなかった言語化ができるようになることはとても有意義であると感じた。

眠くなった。
おやすみ。





元気に長生きをするつもりです。 どうぞ気長におつきあいのほど よろしくお願い致します。