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ひとは、身近にあるものこそよく考えない。-目の前にある幸せに”いま”気がつくことは難しい。けど、それでもいい-


なんとなく眠れない夜に昼間の微睡む光のなか。

なんにも考えたくないとき。

頭が熱を帯びたように重たくなって、ふとした時に思い出す光景がある。

「前にまいちゃんのおじいちゃんの家があるところらへんで、男の人に話しかけられたんだ。孫が毎日頑張ってるって言ってて、表札もまいちゃんの苗字だったから、きっとおじいちゃんだね。まいちゃんの話をして嬉しそうににこにこしてたよ」

スイミングスクールで友人に言われた言葉が今も忘れられない。

当時小学校低学年だった私は、おじいちゃんが友達に私の話をするなんて本当に恥ずかしい、やめてほしいと、そのことに対してとても恥じていた。照れくさくて、恥ずかしくて、なんでそんなこと言ったのと軽い憤りさえも感じた。

私はとてもとても幼かった。

2人兄弟の末っ子として生まれた私は、小さい頃から甘えん坊だった。

末っ子という環境に甘えてか、我儘で家族を困らせることも多々あった。沢山言い合って、怒鳴って、泣いて、酷いことを言って、家族から目をそらした過去がある。

今だからこそやっと分かる。

あの時、無駄な怒りを放棄してぎゅっとくっついてぬくもりをただ感じていれさえすれば。それがかけがえのないほどに幸せなのだということも。

大切に育ててくれた人たちに対しての過去の私を殴ってやりたくなる。あの時、「これが正しい」と自分を判断軸の最上位に置いて、確信に近い何かを持って信じていたものは、何一つとして今ここには残っていない幻想だった。

けれど今、そう思えてその時とその人のことを永遠に思い返すことができるのなら、それは一生の償いになる。もう二度と大切な人を傷つけないという過ちを認めることができる。それなら、私は一生後悔し続けようと思う。そして生涯、私の大切な人たちを思い出し、心のなかで生かしておく。

おじいちゃんとおばあちゃんの間に授かった命は4人。けれど、1人は流産で亡くしてしまった。そして、お母さんとお母さんの姉と弟の5人家族で平穏に幸せに暮らしていた。私も何度か当時のアルバムを見たが、ほとんどの写真が今のおじいちゃんの家のあるところと同じ場所で、セピア色の想い出がどれも楽しそうに笑っていた。

でもその後、お母さんの弟は17歳でガンで亡くなり、姉は男の人と家出した。急にお母さんとおじいちゃんとおばあちゃん、3人暮らしになった。本当に壮絶で苦しい人生だったと思う。だからこそ、初孫だった私たちをすごく大切に育ててくれていたんだと、いまになって分かる。

おじいちゃんはカメラと小鳥が好きで、色とりどりの小鳥を飼っては、フィルムカメラで大事そうに家族の姿を映していた。

コバルトブルーのネクタイをきっちり締めて、メタルバンドの腕時計をはめて、白いハットをかぶって、グレーの背広のスーツを羽織った背の高いおじいちゃんがとてもかっこよくておしゃれで、本当に大好きだった。

でも、それ以上に、家にいるときのよれた白いタンクトップとゴムの薄い生地のズボンを身に纏ったおじいちゃんはもっともっと好きだった。

責任感が強くてまちのボランティアのリーダーを努めていたおじいちゃん。

手先が器用で、よく竹や木の板でものを作ってくれた職人気質のおじいちゃん。

口数は少ないけれど、いつも優しくて笑顔が可愛くて心の底から愛してくれたおじいちゃん。

近くに寄ると、いつもほんのり日本酒と石鹸の香りがした。

私はおじいちゃんの足と足の間に入るのが好きだった。

おじいちゃんの石鹸の匂いに包まれた、親密な温度で満たされた私だけの空間。

酔っ払ってほんのり頬を赤く染めたおじいちゃんが大好きな相撲を見ている横顔をずっと眺めていたかった。


その大好きなおじいちゃんが亡くなったことを知ったのは、柔らかな陽に包まれた午後の教室だった。

春の心地いい光の差し込む静かな教室に、大きな電話のなる音が響いた。

人間の感というものは恐ろしい。

私はこの時、ああ、おじいちゃんだ、となんとなく悟っていた。

学校の目の前にある病院に急ぐと、ベッドに横たわったおじいちゃんがいた。唇の色は少し抜けていたけれど、まるでまだ寝ているようだった。

触れると微かに温かくて、現実をどうも受け入れられなかった。「生きている」。そう思った。目の前にある現実を、脳が頑なに拒否しているみたいだった。

私は昨日、何をしていただろう?

こんなに近いのに、最後まで一緒にいてあげられなかった。

おじいちゃんは、私のいる学校の目の前の小さな病室で、何を思っていたのだろう。

きっと、寂しかったはずだ。

おじいちゃんが夏休みにこっそりと部屋で思い出の詰まったアルバムを見ていたことを思い出した。

病気がちでやせ細り、寝てばかりになったおじいちゃんの曲がった背中を思い出した。

夏になると短くなって冬になると長くなる白髪を思い出した。

グレーに染まった見えない左目の澄んだ瞳を思い出した。

事故で動かなくなった指のついた左手の温かさを思い出した。

夜におじいちゃんの家に寄ると、いつも必ず起きてお茶を汲むふりをして私の顔を見に来ていたおじいちゃんの姿を思い出した。


おじいちゃんの笑顔を、思い出した。


最低だと思って、狭いトイレで声を押し殺して小さく泣いた。

おじいちゃんの火葬が終わってから遺骨の置いてある部屋の襖を少し覗くと、遺骨の前でお父さんがひとりお酒を片手に泣いていた。

涙で顔をぐしゃぐしゃにしたお父さんが、おじいちゃんに向かって呟いていた。

「たくさん迷惑をかけちゃったね。本当に、ありがとうね」

当たり前のように触れられるほど近いところにいた存在がいなくなって、初めてその存在のかけがえのなさに気がつく。お父さんは確かそんなことを言った。

こんなに小さくて今にも消え入りそうなお父さんの背中を見たのは初めてだった。


たぶん、一番つらいのはおばあちゃんだ。

煙草とお酒が好きだったおじいちゃんに「もうおしまい」とよく言っていたおばあちゃん。

今なら、おばあちゃんが止めていた理由もわかる。相手に制約をかけることも、時によっては愛なのだ、と。

何も言わなくても、ふたりはただ黙って愛し合っていた。

おじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんは友だちとよく出かけるようになった。

けれど、私は知っている。おばあちゃんはいまの悲しみから一時的にでも逃れるために、色々な場所へ行っていたことを。

パートナーがいなくなって自由度が上がったから沢山出かけているのではないのだと知った。

だって、おじいちゃんもおばあちゃんも旅行や遠出が大好きで、いつも2人で出かけていたから。

夫婦2人で紡いできた時間は長い。積み重ねてきた想いで溢れる家に一人ぼっちでいることは、本当に気が狂いそうなほど辛いものだったと思う。

今となっては空き家となった場所で、おじいちゃんとおばあちゃんは家族で慎ましく、でも幸せに暮らしてきた。そして、お兄ちゃんと私が生まれてから空き家の目の前に建てた家で、ゆっくりと時を刻んできた。

ここは、そんな思い出の詰まった場所なのだ。

おばあちゃんとおじいちゃんだからこそ、乗り越えられた人生があって、そのおかげでいまの私の存在がある。

いまでもふとした時におじいちゃんの声が聞きたくなって、無性にぬくもりに触れたいと思うことがある。

けれど、それでいい。

私の中で生きている影があるかぎり、その命は死んでいないのだから。


思い返すと切なくなること。

それは、その瞬間だけに存在していた自分自身との巡り合いでもあり、再会でもある。

後悔も、あのときの気持ちも、ぬくもりも、声も、姿形も、笑顔も。

それがたとえどんなに切ないことだとしても、思い返す記憶があるということは、他の何にも変えられないかけがえのないものだと私は思う。


そんな夜に思うこと。


いま、目の前にある存在が永遠ではないことを。



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