死者の(無言の)慈しみを受けた話

先祖の話。突然点と点が繋がることは、ある。それは錯覚に過ぎない、、だろう。でもそれでいい。確かにわたしは救われたのだ。

最近、柳田国男「先祖の話」を取り上げた番組を見た。

わたしは、亡くなったおばあちゃんに助けてもらったことがある。しかも実のおばあちゃんではなくて、旦那さんのおばあちゃん。血のつながりはない。でもだからこそ、きっと助けてくれたのだ。

わたしは不妊治療を4年続けて、長男を無事に授かることができた。それまで、不妊治療中はずっと苦しかった。なにをしても「こどもがいてくれたらもっとしあわせなのに」と思って、心から楽しめない日々だった。そして長男を産む数年前に稽留流産を経験した。人と比べるものではないが、もっとつらい経験はいくらでもある。それは理解していたし、たまたま、まわりに何人も稽留流産をした人がいた。このようなことはありふれている、、心づもりができた。でも、悲しかった。とても辛かった。

手術で取り除いてもらわなければならなかった。どうやって、もうどうしようもないとわかってから手術までの日々を過ごしたのか、覚えていない。もう記憶はあいまいだ。辛かったからわすれたのか、長男次男と授かることができて喜びで上書きされたのか。両方だと思う。とにかく渦中の日々、そんなときふと義理の母が「手術の日はおばあちゃんの命日だからきっとうまく連れていってくれる」と言ってくれた。

わたしには水子供養なんていう概念すらなかった。まだ赤ちゃんの姿になっていないから、、だったのか、あまりにまだ、供養するには生々しい事すぎてか、とにかく治療の一環のように手術をうけるつもりでいた。だけど、その言葉がわたしを今もまだ救ってくれている。きっとおばあちゃんが、形が少しのあの子に魂があったとしても、間違いなく面倒みてくれた、と思う事。わたしはそれが本当に安心だった。おばあちゃんに救われたと思う所以。

そしてそれは義理の母の言葉のおかげである。お母さんはわたしにとっては、もちろんお姑さんで、わたしは不出来な嫁である。そういう心の距離がある。だけど、魂、、というと胡散臭いが、そのあたりでは、姉妹みたいな気がするのだ。お母さんには言えないけれど。本当に不思議な感覚なんだけど、なんとなく約束してた気がするのだ。「世の中の嫁姑は大変よね。わたしたちは姉妹で次に会う時は嫁姑にしときましょう。揉めにくいわよ」と、約束した気がするのだ。

そして出会った義理の母は、先祖を大事にする方だった。自分の親もとても大事にしている。義理のおばあちゃんは亡くなって20年以上経つが、大きな遺影のまま、すこしお茶目な笑顔で箪笥の上でほほえんでいる。いつもかたわらには自然な花が一輪活けて添えられている。だからこそわたしは義母や旦那さんから自然にかたられるおばあちゃんのすがたをありありと想像できて、とても親しみがあった。

旦那さんの家は結構な続いた家で、跡取りのために旦那さんはそのおばあちゃんの養子扱いになっている。それだからこそ、わたし達のこどもは跡取りとしても望まれていた。でも、義母も不妊に苦労するわたしを知っていて、わたしとは違うがひょっとするとそれ以上にも一喜一憂してくれていた。

わたしはもともと生理痛がとても重かった。そして不妊治療中は生理が来ると言うことは今回もこどもには来てもらえなかったという絶望感がついてくる。不妊治療中のそんなグッタリデーに、眠っているとき、おばあちゃんが泣きながらわたしのお腹を撫でてくれる夢を見た。単なる夢さ。でもものすごく癒してもらった。辛い思いさせてるなぁと言ってくれてる気がした。

そんなこともあって、稽留流産のときもおばあちゃんの命日に手術を受けるという偶然もあって。

だれにも何にも決められたことではないけれど、わたしはたしかにおばあちゃんという先祖に助けられたと思っているのである。

それは義母のことばのおかげ。

わたしの先祖の話。


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