読書記録_QJKJQ

『QJKJQ』
佐藤究著
講談社

『テスカトリポカ』を読んだときに、佐藤究のSFも読んでみたくなった。どことなく伊藤計劃みを感じたからかもしれない。語り口や展開に似ているところはないけれど、作品をつくる温度のようなものが近そうだと感じた。『屍者の帝国』の続きを佐藤究が書いたらどうだったのか、それが読みたい。
 ということで、新作の『幽玄F』のまえに、『QJKJQ』と、『Ank:』から攻めることにした。SFかどうかはさておき、出世作のようなので。以下、ネタバレアリの感想。

 殺人癖のある4人家族で育った女子高生の亜李亜が主人公。兄が殺され、母が失踪することで、亜李亜の人生が動き出す。狩る者と狩られる者。罰することと護ること。正反対にみえるものは、表裏一体である。

 緻密な作品だった。初読よりも、結末を読み終えた後に読み直すときの驚きが大きい。ミステリーは、初読は面白くても、繰り返して読むには耐えない(ものが多い)ジャンルと認識していたが、この作品は違った。小手先の叙述トリックではない。素直に読める文章なのに、こうも鮮やかにひっくり返せるのか。
 再読時に、とくに気付かされるのは、父の愛情の深さ。ポーカーの手役「QJKJQ」を見せたのは父親で、亜李亜が思いついたんじゃない、という事実が、もう……。アカデミーの隠蔽体質からすると、結末は納得のいくものだけれど、父の自殺方法はさすがに無理があるように思えるのだけ気になる。口から血が溢れるのを手で押さえて、窒息するまで血を飲もうとしても、手を外部の力で固定しない限り反射で手を離してしまうはずだ。反射さえ克服できるほど(果たして脳の働きで、反射を制御できるのか知らないが)意思の力が強固だったことを表しているのか。糸山が、妻が自分を殺すために使おうとしたパン切り包丁で、妻を殺すことによって愛を示したのと同じように、殺してしまった娘の凶器を使うことで、娘への弔いを表すのもあるのだろうけれど。銃でロシアンルーレットくらいが現実的だったんじゃない?とは思う。

 亜李亜は鳩ポンの服装について、何度か「がっくりするようなベージュのローヒール」と表している。意味がわからなかった。がっくり=がっかり、と検索では出てきたけれど、何にがっかりするのかやはりわからない。歩く時に足首がガクッとしそうなのを表しているのなら、ローヒールではあまりそうならないけれど、強いてそうなりやすいとすれば、ヒールが細いということだろうか。何を意味しているにせよ、一般的に用いられている表現ではなさそうだった。亜李亜が、父に育てられたために、そして彼女自身の興味の方向性のために、女性ならではのものについての知識が乏しいことを表している部分と考えている。車の種類に妙に詳しい点などと、同じ理由。
 
 アカデミーでスナッフフィルムのように犯行現場の映像を見る出資者や、本性を表した鳩ポンは、悪趣味だしモラルが欠けている。安全地帯から、現実の被害に目を背けて、スリルだけを味わう様子は、加害者と同等に罪深い。そんなことを考えながら読んでいて、物語の登場人物がもがき苦しむのを外から読んでいるわたしたち自身も、同じようなものだと気付かされる。創作物だけならまだしも、遠くの戦争、遠くの犯罪に対する態度も、好んでスリルと捉えていないにせよ、同じようなものだ。
 書かれたことが作者の考えとは思わないが、『テスカトリポカ』も『QJKKQ』も、とても真っ当な倫理観が根底にある。そこから、最悪の展開だったり、サスペンスだったりを広げていくことで、根底の倫理・まもるべきものに光を差す誠実さを感じた。


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