見出し画像

東大卒のニートを目指して

 小学生の頃、勉強は好きな方だったと思う。

 授業は分からないことがあるとモヤモヤするし、分かるとスッキリする。テストは100点が取れると嬉しいし、80点だと悔しい。友達がなかなか解けない問題が分かったときは自分が天才かと思ったし、帰宅してお父さんとお母さんに何度も自慢した。

 放課後は、宿題をするよりも友達とドッジボールをする方が楽しかったけれど。


 3つの小学校校区が合体した中学時代、私はおませさんに憧れた。
 隣町の小学校から来た女の子たち(=おませさん)はドッジボールをしないらしく、小学校6年生の頃からメイクを始めたと言っていた。下敷きにはプリクラがたくさん貼られていて、筆箱にはカラフルな蛍光ペンが何本も入っていた。

 おませさんにとっては勉強ができることよりもオシャレをすることの方が重要らしく、おませさんになりたい私は中学校1年生の誕生日に母に頼み、キャンメイクのメイク道具を一式プレゼントしてもらった。
 見事おませさんの一員になれた私は、週末は必ずメイクをし、近くのショッピングモールで友達とプリクラを何枚も撮り楽しんだ。

 おませさん時代の私、健気でかわいい。


 その頃、勉強ができる子は「ガリ勉」だと思われるようになっていた。
 私は「ガリ勉」ではなく「おませさん」になりたかったけれど、勉強は嫌いではなかったし、2つ上の姉より悪い成績を取りたくないというプライドがあった。

 そこで私は「勉強してないのになぜか頭いい奴」が一番かっこいいと考え、皆と一緒に全力で遊びつつ、授業や宿題、テスト勉強は真面目に取り組み、成績をキープした。
 おませさんな友達とふざけ合い、「頭いいのにバカだよね~」と言われるのは最高の褒め言葉だった。

 おかげで中学時代のプリクラは100万円分の札束より厚いほどあって、テストの順位はほとんど1桁台、中学3年生の頃の成績はオール5。
 おませさんへの執着、すごい。


 「頭いいのにバカだよね~」が嬉しすぎた私、中学校の頃の夢は「東大卒のニート」。バカだ。おませさんの友達、的確。
 両親は大爆笑しながら「本当に東大に行けるならニートになってみろ」と言ってくれていた。寛大。


 高校生になっても「頭いいのにバカ」には変わらず憧れていたものの、皆が志望校を真剣に考え崇高な目標を持っている中、間抜けな目標だけで勉強を続けていたからか、東大に行けるほどの学力は備わらなかった。

 それでもなんとか旧帝大には合格できたのだから、「東大卒のニート」までは行かなかったものの、結構いいとこまでは行ったんじゃないかな。


 東大には行けなかったのでニートになる権利を失ってしまったけれど、「頭いいのにバカ」な大人になりたいな。なれるかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?