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ピラプタンガ考

注:本文中で出てくる注釈は、すべて記事の一番最後にまとめてある。たとえばこんな風に(注0)。

はじめに

こちらの記事で(調子に乗って)調べてほしいものを募集したところ、とある方から依頼のお便りをいただいてしまった。調子に乗って書いたとはいえ思ってもみなかったことで、ありがたい話である。さっそくご紹介しよう。

「ピラプタンガの〈プタンガ〉って何ですか?」

お便りありがとうございます。というわけで今日は、ピラプタンガの名前の由来について知っておこう。ところでまず最初に、

ピラプタンガって何ですか?

と思ったのはぼくだけではないはずである。まずは解説から始めよう。

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ピラプタンガ(piraputanga、学名 Brycon hilarii)は、カラシン科Brycon属に属する南米産の熱帯魚。黄色みがかった体色でひれの先端が赤く、尾びれの中央から胸にかけて一本の黒縞をもつ。植物の果実や種子、昆虫などを主食とする。パラグアイ川やパラナ川でよくみられ、食用として商業的に重要な魚種。ブラジル南西部のマットグロッソ地方では特に嗜好される。

(一番の特徴は)ジャンプ力ぅ…ですかねぇ。水面の近くにある木の実とかが好きな魚なので、10センチ20センチは余裕でジャンプしてくれます。

ちなみに「ピラ」は「魚」の意で、ピラニアとかピラルクーのピラと言われれば、なるほどと思う方も多いだろう。これらがトゥピ語由来なのはブラジリアじゃあ常識らしいのだが、ぼくは初めて知った。

問題はプタンガのほうで、putanga でググってもマオリ語(ニュージーランドの言語)の単語とかウガンダの地名が出てくるばかりで確かに手がかりがない。依頼主いわく、南米の自然関係の一般書にもピラプタンガについては数行触れられるくらいで、名前の由来は全く不明とのこと。

日本ではおそらく研究者や熱帯魚愛好家の間で少し知られているくらいで、正直なんも知らん世界である。しかし上の動画のジャンプしてる姿がやたらと愛くるしいのでちょっと興味を持って調べてみた。安請け合いもいいところである。

余談。トップに掲げたツイッター映えのする被写体は、ブラジルはマットグロッソ・ド・スル州の街・ボニート(地図)の公園にあるモニュメントである。市民のピラプタンガ推しがひしひしと伝わってくる写真である。あとでボニート市には再度お出まし願いたいので、今ここで紹介しておく。

もじぴったん/もじぷったん

最初に答えを言ってしまえば、驚くほど単純な話である。putanga=pitangaである。いやpitangaってなんや、との疑問に答える前に、まず証拠固めから始めよう。たとえばサンパウロの政府機関、水産研究所の定期刊行物 Série Relatórios Técnicos には次のような表記がある(Numero51、p.29)。

Piraputanga (Pirapitanga -Brycon microleps, B. hilarii).

同レポートのp.10 の表4には別名(Outros nomes)の欄にpirapitangaの記載がある。

さらに、イヌクティトゥット語からズールー語まで万国の言語に通ずる辞書サイトWiktionary先生は、ポルトガル語版 piraputanga の項で、同義語として pirapitanga を挙げている。

もっとも、"pirapitanga" でググった結果をみる限りでは、piraputanga ほど知名度のある名称には思われない。のちほど言及するように、別の種と思われるものや誤植も含まれるかもしれない。ただ、語源的には pitanga と putanga が同じであると考えるのは自然である。その理由を以下に述べる。

回り道をしたけれど、それではピタンガとは何だろうか? 沖縄に縁のある人なら聞いたことがあるかもしれない。ピタンガとはこれである。

ブラジルの庭先によく生えている常緑樹ピタンガ。と言ってももちろんこの植物がじつは魚だったりするわけではない。また、ピラプタンガは草食性(雑食性)なのでピタンガの実も食べるかもしれないが、それも名前の由来とは関係がない。

ウィキペディアの解説にもある通りこのピタンガ、原義では「赤い」を意味する。より詳しく言えば、ybápytanga「赤い果実」のybá「果実」が省略されたものである。16~17世紀のポルトガル人が記述した古トゥピ語ではpytanga に綴られる。末尾の a は接辞である。

ここで注意したいのは2文字目の y で、これは /ɨ/ という音で発音される。ロシア語のыといったほうが早いが、もしあなたの脳内に東北弁を喋れる者がいるなら、なるべく口を動かさずに「私 ワダス」と言ってもらえばよい。そのスの母音に近い(注1)。雑な言い方をすれば、/ɨ/ はイとウの中間の音である。

古トゥピ語ではこの音は /i/ や /u/ と別の母音として区別される。しかし、(/ɨ/ という母音を持たない言語に育った人々からは)pytanga はピタンガにもプタンガにも聞こえうるし、現地の方言や個人のしゃべり癖によっては実際にピタンガともプタンガとも発音されただろう。

先ほどふれたボニート市のウェブサイトに、ピラプタンガの名前の由来を記した一節を見つけた。訳は省くけれども、①植民者が pytanga をただしく聞き取れなかった、②putanga は pitanga の変形である、という2つの説を紹介しているようだ。どちらにしても、上に述べたような言葉の揺らぎが原因で、転訛が生じただろうと推測される。

piraputanga の意味はこれではっきりした。piraputanga=pirapitanga=「赤い魚」だ。めでたしめでたし。

…あれ?

赤くなくね?

と思ったのはぼくだけではないはずである。確かにヒレの先は赤い。が、南米産の魚には似たような色合いのものは結構いるし、コイツを指して「赤い魚」と呼ぶにはいささかパンチが弱すぎる気がする。かといって「ピタンガの実を食べる魚」の意味に取るのは語法的に無理がある。3つほど言い訳を考えてみた。

①ピラプタンガの色合いの幅が広い。

写真は嘘をつくものである。光の当たり方によっては赤っぽく見えることもあるのかもしれない。下はウィキメディア・コモンズにある他のピラプタンガの写真である。赤い!

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加えて、ピラプタンガには驚くべき生態がある。彼らと似た模様をもつ大型肉食魚・ドラドに捕食されないために、体色をドラドに似せて擬態するのである(ドラドは「黄金」を意味する名の通り、金色に輝く魚。どうぶつの森で習った)。出典は下の記事…って、ネコ写真家の岩合光昭氏ではないか。

…と書いたのだが、もう少し調べてみると逆の事実を記した記事ばかりが出てくる。つまり、ドラドの幼魚が捕食のためにピラプタンガに擬態するのである(ソースはたとえばこれ。このような擬態のことを攻撃擬態という)。ピラプタンガがドラドに擬態する記述は見当たらなかったので、ひょっとすると上の記事は誤解かもしれない。

しかしいずれにしても、せいぜい金色の魚がもっと金色になるくらいのものである。ちょっと赤色と呼ぶには厳しいのではないだろうか、ということで次なる仮説に移る。

②putangの意味の幅が広い。

突然だがここでピューマの写真を見てほしい。見なくても知ってるなら見なくていい。かわいいですね。

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実は依頼をくれた方と別に、前の記事を読んで英グア辞典(英語・グアラニー語辞典)を見つけてくれた方がいた。これによると、グアラニー語でピューマを指す語彙に jagua pytã があるらしい。jagua は「犬」である(注2)。pytã は形容詞で「赤い」の意味とある。ã は鼻音であるから、発音としてはプィタン /pɨ̃tã/(注3)で、古トゥピ語の pytang に由来するのは明らかである。

ついでにベニコンゴウインコも見てほしい。見なくても知ってるなら見なくていい。鮮やかですね。

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ウィキペディアのグアラニー語版にはベニコンゴウインコの記事があり、タイトルが Gua'a pytã となっている。 Ararapiranga の別名もあるようだ(注4)。Gua'a も Arara もオウム目に含まれる鳥の一群を指す名称である。

つまり、ピューマとベニコンゴウインコとはともに pytang(pytã)色である。ピタンガの実の色と見比べれば、pytang の指す色はかなり広そうなのが分かる。日本語の「赤ペン」「赤土」「赤ん坊」の指す赤色がそれぞれ異なるのと同様である。

さらに、古代シュメール語から現代サーミ語までその博言に並ぶものなき我らが英語版Wiktionary先生は、サンパウロで出版された古トゥピ語の辞書を引きながら、このように解説している。

pytang  any pastel color (広くパステルカラーを指す。)

パステルカラーって…あの淡い中間色っぽいあの? 意味広すぎませんか? というかインコはパステルカラーじゃなくないですか? などと疑問は尽きないが、これ以上のことはよく分からない。ただひょっとすると pytang はピラプタンガの体色を指すこともありうるかもしれない。

③piraputangaの指し示す種類が広い。

上2つの理由をもってしても、「じゃあ別に他の魚も pirapitanga に当てはまるくね?」と言われたらそれまでである。ひょっとすると前に見た yaguara のように総称的なものが特定の種の呼称として定着したパターンでは? などと疑ってみる。調べてみると、他にも pirapitanga と呼ばれている魚はいるようだ。出典は世界最大の魚類データベースであるFishBaseに拠った。

Brycon orbignyanus - ピラプタンガと同じく Brycon 科の魚。"pirapitanga"でググるとこちらに言及したものが多く見受けられる。こちらの資料(p.36)によると、スペイン語では pirapitanga、ポルトガル語では piracanjuba(「頭の黄色い魚」)と呼ばれるとある。や、ややこしい。

Anablepsoides urophthalmus - Rivulidae 科 Anablepsoides 属の魚。メダカの仲間で体長7cm程度と小さく、赤くも見える斑点模様を持つ。生息域はブラジル北部のアマゾン川下流域で、全く別の出自を持つもののようだ。

pirapitanga と呼ばれるもので見つかったのはこのくらいであった(注5)。これだけ見ると、片方は住んでいる地域も別だし、もう片方は言語も別だし、総称と言えるほど幅広く用いられているようには見えない。この説は不発と言ってよさそうである。

3説を記したがいずれも説得力に欠ける。……結局ヒレが赤いから「赤い魚」になった解釈が一番自然なのではないか?(ベニコンゴウインコだって頭としっぽしか赤くないし)

徒労に終わった感が半端ないが、情報の整理ができたのでよしとする。よしとしてください。

おわりに

ピラプタンガの名前について調べられることはおおむねこんなところだろう。正直ポルトガル語を逐一読んでいるわけではなく、機械翻訳(英語を挟みつつ)に頼んだところが多いので、正確さは保証できない。熱帯魚マニアや語学マニアな方からの批判は甘受する。

…ただそれ以前にこんなニッチかつ細かい記事、依頼者様以外にだれか読んでくださるのだろうか。最後まで読んでくださった方はありがとうございます。ご依頼は対応できる範囲で対応させていただきます。アラビア語とかはやめてください。


注0:イタリック体が使えないとか写真にキャプションが入れられないとか記事内リンクが貼れないとか、こういうとこ不便よねぇNoteって。htmlタグ使わせてくれればいいのに(日記)

注1:いわゆるズーズー弁と呼ばれる方言であるが、必ずしもこの音を取らない。なお、琉球語の一部の離島の方言には音韻として /ɨ/ が残存する。

注2:先に解説したとおり、ジャガーの語源となった言葉はもともと「犬」とか「肉食獣」の仲間を指す言葉で、それは現代グアラニー語の jagua でも同様である。

注3:鼻に抜ける音を鼻音という。グアラニー語には鼻音調和とよばれる現象があり、ある単語の中に出てくる母音はすべて鼻音であるか、すべて鼻音でないかのどちらかになる傾向がある。IPA表記では母音の上に~をつけてこれを表示する。グアラニー語の表記では ⟨ã⟩ は鼻音 /ã/ であるので、y もそれに合わせて鼻音 /ɨ̃/ となる。

注4:話がややこしくなるばかりで省略したが、辞書によれば pirang も同じく古トゥピ語で「赤」を指すとある(/t/ が /r/ に替わるのはいわゆるロータシズムないし弱化現象と思われる)。

注5:ややこしいのだが、ピラピティンガ pirapitinga(学名 Piaractus brachypomus)という魚もいる。古トゥピ語で「斑点のある魚」の意であり、系統的にも全く別物である。

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また注4を受けて、pirapiranga と呼ばれる魚種も FishBase にいくつか見つかったが、これ以上は割愛する。

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