とこまち炎上に見る、クリエイターが「オタク」であることの危うさ

人気バーチャルYouTuberの戌亥とこさん(にじさんじ所属)と星街すいせいさん(ホロライブ所属)が、ソーシャルゲームの「あんさんぶるスターズ!(あんスタ)」の世界観とリンクさせたかのようなオリジナル曲「OUT OF FRAME」を発表し物議を醸しています。

ただ単に世界観を踏襲しただけでなく、作詞や作曲も「あんスタ」公式で担当している人たちを集め、擬似公式のような形になっていることも、ファンの間では「私物化」だとして不興を買っています。

経緯は詳しくまとめてくれているサイトに譲りますが、彼女たちは「あんスタ」の熱烈なファンとして、これまでにもあんスタの曲で歌ってみたを投稿していました。

その「愛」については一定の承認があり、VTuberのファン・あんスタのファン両者において必ずしも批判的に捉えられてきた訳ではなかったと記憶しています。

そもそもこれまで、「クリエイターが何かのオタクである」ということは、ほとんどの場合においてポジティブに受け取られてきました。

オタクの情熱はクリエイティブな活動の原動力のようなものであり、クリエイターの「オタク語り」は、オタクたちにとっては親近感を覚えるものであることが多いです。

ところが、そのパッションが「やりすぎ」の域に達してしまうのも考えものである、ということが今回の学びでした。

もちろん、強烈なオタクでありつつもクリエイターとして十分にリスペクトを払い、適切な態度でコンテンツに接している方もいらっしゃいます。

ただ、人間は好きなコンテンツのこととなるとどうしても周りが見えなくなってしまう・自分を客観的に捉えづらくなってしまうものです。

それでは、そんなある種の盲目状態になることを防ぐためには、オタクのクリエイターはどういう心構えが必要になるのでしょうか。

オタククリエイターのあるべき姿とは

これはもう、一つの姿勢に集約されてくると思います。

自分から意識的に距離をとること

それは「コンテンツを愛する心を封印する」こととイコールではありません。

コンテンツを愛でたり賞賛したりすることは、本来すべての人に許されているはずです。

ただ、自分の作品やオフィシャルな場(個人のSNSも含め)での態度としてはそれ相応のものが求められます。

正確には、クリエイターとしてコンテンツから一定の距離感を持った「もう一人の自分」を作り出す、という方が近いでしょうか。

盲目になりかけた自分に待ったをかけ、
・コンテンツの権利を侵害していないか
・モラルに反する内容ではないか
・私物化するような作り方をしていないか
・コンテンツの作者やファンが気分を害するものではないか
を常に自問する「もう一人の自分」。

そういった冷静で客観的な目を持つことで、コンテンツ愛が暴走することを一定程度避けられるのではないかと私は考えています。

「好き」を免罪符にしてはいけない

「『好き』を仕事にする」ということは、本当に素晴らしいことです。

でも、自分の『好き』という気持ちで、そのコンテンツ自体や他のファンの感情を踏みにじることはあってはいけません。

クリエイターは何かを作り出すことができる以上、生み出すものについては責任を持つ必要があります。

リスペクトと程良い距離感は、持ちすぎるということはないと今回の件で改めて感じました。

わたしも一オタククリエイターである以上、自戒していきたいと思います。

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