指導教官と学生
コンコンッとノックをする。
「はーい」と部屋の中から、もう慣れ親しんだ声が聞こえる。
「失礼します」と中に入ると、鳴り響いていた英語のラジオの音が止み、パーテションで仕切られた奥の方からガサゴソと音を立て、こちらへ顔を出す。
「で、どうですか」と進捗を尋ねてくる。
私は、指導教官が大好きだ。大学院の世界で、一番尊敬している。とはいえ、この2週間から1ヶ月に一度の面談の際は、いつも緊張する。進捗は芳しくないことばかりだからだ。
毎回毎回「あまりうまくいっていなくて……」を繰り返す私であっても、指導教官が怒ったことは一度もない。いつだって優しく、親身になってアドバイスをくれる。勉強や研究の内容そのものだけではなく、それに対する姿勢まで、私の立場にたってお話ししてくれる。だから面談後は、いつも心が軽くなって、また頑張ろうと思える。
指導力と研究力を兼ね備えた、本当に素晴らしい指導教官だ。
別の研究科の友達が、多かれ少なかれ、安価な労働力として研究の時間を搾取されていたり、ハラスメントぎりぎりな仕打ちを受けていたりする中で、私の指導教官はそうしたことが全くない。
私だけではなく、私と同じ研究科のほかの先生方も、(非常に個性的で)素敵な人たちばかりだ。それぞれ学生への接し方の温度は異なっていたりするけれど、どの先生方も、各々のやり方で、親身に学生を育てていこうとしてくれている。
本当に恵まれた環境だと、別の研究科の友人の愚痴や相談を聞いて、しみじみ思ってしまう。同じ大学でも、別の研究科ではそうではないようだから。(もちろん、人によるのだけれど)
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昨今、大学院でも様々なハラスメントが問題視されていたりする。私の通う大学でも「ハラスメント相談室」があり、新学期には、ハラスメントに関するパンフレットが配られていたりする。でも、大学院生は指導教官に教えを乞うという立場である以上、なかなか声をあげられないような気がしている。
特に、人柄や生徒への態度に問題があるけれど、研究者としてはピカイチな先生だった場合。その先生のもとでコレを学びたい!と思い来ている学生は、ハラスメントなどに遭ったとしても、安易に指導教官を変えたり、訴えたりできない。自分がいる大学でその先生しかそれについて研究している人がおらず、代わりが見つからないことも大いにある。もっと言えば、日本/世界でその先生しか、その分野について深く研究している人がいないということだってある。(実際、私の友人はこのケースだ)
加えて、もしハラスメントの訴えが通り、またその被害者がそのままの分野で研究を続けられていたとしても、その先生が研究者としてその分野に残っていたら、関係を完全に断つことはできない。学会に出れば会うだろうし、論文投稿先の審査員になっていることだってあるだろう。
じゃあその先生を学問の世界から永久に追放すればいいという人もいるかもしれない。気持ちはわかる。とってもわかる。非常にわかるけれど、同時に、それはちょっと安直なのでは、とも思う。マイナーな分野だったら、その先生を追放してしまえば、その分野の研究が止まる。廃れてしまう。そんなことは、たぶん、被害にあっている学生が一番嫌なことではないか。誰だって自分のやっている研究には思い入れがあるのだから。
だから、きっと私の友達たちも、声をあげはしない。理不尽であっても耐えている。不幸中の幸いか、彼女たちは、「だから最短で博士号を取って出よう」と、前向きに頑張っている。でもそうやって前向きになる元気もない人だって、世の中に多くいるのだと思う。
ここで書いたことはきっと、これまで何百回もいろいろな人に指摘されてきたことだ。でもやっぱり、本人たちが黙って耐えることを選んでいる状態で、私に何ができるのかわからない。ただ愚痴を聞いてあげることしか、できない。
むやみに通報したり問題にすることは、彼女たちの学問への思いを踏みにじってしまう気がして、ためらってしまう。皆、”学問”というものに、並々ならぬ思いと誇りを持っている。そうした気持ちもわかるからこそ、大変そうな状況にある友人たちを前に何もできない自分がはがゆくて、もどかしい。
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繰り返すけれど、私の指導教官は最高の指導者だ。関わりのあるほかの先生方だって、研究内容も、実績も、指導力もある。研究のお手伝いとして学生を雇うときも、学生の労働条件を細かく気にして、決して条件以上の働きをしないようにと、気遣ってくれる。他大学の先生のもとで研究のお手伝いをしたときだってそうだった。
こんなにいい環境がある。こんなに優れた研究者が、大学教授が、指導教官がいる。
指導教官との関係で悩む友人たちに私ができることは、やっぱりよくわからない。
でも、一つだけ、確実に言えることがある。みんなで言い合っていることがある。
「私たちは、絶対に真っ当な”いい先生”になるんだ」
尊敬する指導教官のように暖かく適切な指導ができる存在になりたい。
友人たちを困らすような、あんな先生にはなりたくない。たとえ、どれだけ研究で実績をつめたとしても。
友人たちも、自分たちが先生になったら、悪しき習慣を断ち切るのだと言っている。
これは、当たり前だけど、難しいことかもしれない。
でも、実際、私の目の前にあるように、”いい環境”は存在している。”いい先生”だってたくさんいる。実績と指導力を兼ね備えた素敵な先生は、ここにたくさん、本当にたくさんいる。だから、きっと、無理なことじゃない。
友人たちと私はそう決意して、まずは博士号取らなきゃだね、と笑い合った。
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