何か私にできることはあるかい
すみません、メンタルやられてしまったみたいです。作業は全然進んでいないのですが、明日、相談にのっていただけますか。
2、3週間に一度の面談を前日に、私は指導教官にこうメールを送った。
もし都合がよければ、明日ではなく、今から研究室にきませんか。
返ってきたメールを見て、すぐに私は出かける支度をはじめた。
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作業を全部やめて、休みはじめて1週間以上になる。けれど、まだ指導教官にはそのことを言えていなかった。
1週間程度である程度は良くなると思っていた。実際、かなり気分は上向いていて、午後2時ごろから夜にかけてはいつもと変わらない気分で、物を考えたり、家事をしたりといったことができている。
けれど、朝と寝る前の落ち込みはひどく、またその落ち込みの明確な理由を探してもどこにもないことが気がかりだった。
前のnoteで記したように、陰鬱な気分になってしまった背景も改善策も、わかっている。だから落ち込む必要などないはずなのに、なぜか、どんよりしている。けれど、お昼頃からじわじわと元気が出てくる。
恋人と相談し、もう1週間様子を見て、朝と寝る前の落ち込みが改善されなければ病院へいこうと決めた。
もしかしたら、長期戦になるかもしれない。そう思って、指導教官に打ち明けることにした。
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もうすぐ、日が落ちる。こんな遅くに申し訳ないなと思いながら、コンコンッとノックをする。と、中から「はーい」と声が聞こえる。
いつもと同じように、「失礼します」と言って入って、パーテションの奥から先生がやってくる。
いつもの「で、どうですか」の代わりに、「で、どうしたんですか」と声をかけてくれる。
なんと答えたのか、思い出せない。
いろいろなことを、話した。
研究に対すること、そうして考えて思ったこと、人と比べて劣等感を抱き続けていたこと、成果を焦ってしまっていたこと、元気っちゃ元気だけど朝と寝る前の落ち込みがひどいことーー
泣きじゃくりながら話す私を前に、先生は、「うーん。そうかあ、うーん」と口をへの字に曲げながら、優しい眼差しを向けて聞いてくれていた。
ひとしきり私が話し終えると、今度は先生が自身の学生時代のことを話してくれた。
同じようなことを考えたこと、取り掛かった研究がダメになって「あーもう俺はダメだ」と思ったこと、博士論文のメインの研究に取り掛かるまでにかなりの時間がかかったこと、当時のパソコンがしょぼすぎて大変だったこと、どんなことがあっても友人と酒を飲んで憂さ晴らしするのだけは欠かさなかったことーー
懐かしみながら、「こんなこともあったんだよ」とおもしろおかしく語る指導教官の話を聞いていたら、心の底から暖かな気持ちになって、力が湧いてくる心地がした。
***
「指導教官がね、2週間に一度は進捗を報告しに来いって言うんだよ」
先生の、留学時代の指導教官は、とっても怖い先生として学生の間で有名だったらしい。
「でも、本当は優しかったんだよ。まあ怖かったけどね」と、以前言っていた。
「で、行ったらさ、”What can I do for you?”って最初に聞くんだよ。毎回必ず。こっちは『お前が来いって言ったんだろ!』って戸惑ったよね」
そうか、と、合点がいった。だから、この先生は、私が毎回「うまくいかなくて……」を繰り返しても、怒るどころか親身に相談にのってくれていたんだ。
What can I do for you? 何か私にできることはあるかい?
そんな姿勢で、私の訪問を迎えてくれていんだと、はじめて知った。
成果なんて、求められていなかった。みんなに追いつくことも、最初から100点満点の出来であることも、先生は求めていなかった。わかっていたつもりだったけれど、わかりきれていなかった先生の気持ちに、気付いた。
そして、こんな姿勢で接してくれているのは、指導教官だけじゃないのだろう。
副ゼミの先生だって、他に関わりのある先生だって、みんな「何か私にできることはあるかい?」といった姿勢で話を聞いてくれている。厳しいコメントの裏にあるのは、そうした優しさだ。だから、何も怯む必要はない。
***
「人と比べることは一番やっちゃいけないよ。ついついやってしまうんだけれどね」
「土壌ができていないと、芽は出てこないんだ。でも、最近のあさぎさんは、土壌ができつつあるなと思っているよ」
ハンカチで涙をふきながら、先生の言葉に大きくうなずいた。
「こじらせると大変だから、休む時はゆっくり休んで。何かあったらまた来てください」
「ありがとうございます」と言い、優しい言葉と、暖かい眼差しに見送られて、「失礼しました」と部屋を出た。
酸いも甘いもたくさん経験してここまで来た、あたたかくて人間味あふれる先生。
こんな先生に、私もなりたい。
そのためにも、また幾度となくあの部屋をノックして、進捗がよくなくても怯むことなく先生の指導を仰ぐのだ。
日がとっくに暮れ、すっかり暗くなって冷えるキャンパスを、あたたかな気持ちで歩いていった。
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