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お高い食パンをかじり、憧れるはゆとりのある暮らし

いつも食パンは、8枚切り税抜き78円のものと決めている。

「6枚切りより8枚切りの方が2日も多く食べられるしねえ」と彼も言う。

1日1枚、朝食べるのであれば、同じ値段だったら6枚切りより8枚切りの方がコスパがいい。何かとお金への不安がつきまとう大学院生である、私と恋人に共通した発想だ。

多忙だった恋人が、束の間の休息を取れるとのことで、久しぶりに一緒に週末を過ごしている。
そうして、「たまには」と奮発して買ったのは、なんと3枚100円の食パン。

朝、わくわくでトーストにして、何ものせずにひとかじり。

「「美味しい!」」

カリッ、もちっ、ふわっ。
いつもの8枚切り食パンは、カリッだけなのに、なんたる食感の豊かさ。ほんのり甘くて、そのままでもペロリと食べてしまいそう。感激。お高いのにはわけがあるのね。

「やっぱり食パンはこうでなくちゃ」彼の言葉に驚く私。

「え、お前さん、実家でこんな食パン食べてたの?」

「母親のつくる食パンがこんな感じだった。いやもっと外側もちカリッで、なかふわっふわだったかな」

なにそれ、ずるい。すごくずるい。

同じ大学院生として、節約生活にはげむ彼。けれど彼から聞く”実家”は、どことなく優雅であたたかく、ゆとりのある香りをまとっている。

「生活なんてどうでもいいやい」と思っていた私が、彼と出会って一緒に過ごすようになって。あたたかい生活を週末だけでも過ごすうち、「生活のゆとり」の価値に気づいた。

と同時に。ほんのすこーし、彼のことがうらやましくなったりも。
ふわりと生活へのゆとりが香るおうち。そんなものとは対極にある我が家を思い出すと、ほんの少しだけ、恥ずかしく思ってしまう。

彼も彼のご家族も、そんなこと一切気にしない人たちなのに、我が家を思っては、小さなため息をついてしまう。
お母さんの一馬力は、かなり力強いものではあった。とてもとても、感謝している。けれど、やっぱりゆとりのある暮らしは、私には想像上の世界だ。

彼の家のゆとりも、いろいろな苦労の末に得られたもの。だからなのか、彼にボンボンっぽさはない。ただ、本当にふとしたときに、香るだけ。
「すごい田舎だけどね」と彼は笑うけれど、でも、ふいに皆見えるそのゆとりのある香りが、やっぱり、ちょっとだけうらやましい。

「ずるい、ずるい。私もそんな食パン食べたい」と口をとがらす私。

「いつでも行ったら食べられるよ」

早くも彼のご両親とは、一度一緒に食事をしている。それ以降、「いつでも遊びに来てね」とのラブコールを度々彼越しに受け取っている。

料理上手な彼のお母さんのつくる食パン。きっとさぞかし美味しいのだろう。ああ、食べたい。

けれど、それはそれとして。

子供の頃にはかなわなかった、ゆとりのある暮らし。あれへの羨望を、まっすぐに対処しないとね。

大事なのは、やっぱり過去じゃなく未来であって。

「ゆとりのある暮らし」ができるように、いまもこれからも精進するのだ。この人と一緒に。研究者の道は、安定ともゆとりともちょっと縁が薄いけれど、ね。

「美味しいね」と食パンを頬張る彼に「うん」とうなずき、大きく口を開けてお高い食パンにかじりつくのだった。


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