「辞める・断る」だって大事
頼まれごとを引き受けることは苦じゃないけれど、頼まれごとを断ったり途中で辞めることは苦手。そんな人は多いんじゃないかなと思う。
私もそんな人の一人だ。
アルバイトに応募していた企業から、嬉しいお知らせをいただいた。
「やったあ」という明るい気持ちの影にいるのは、ちょっぴりの苦しさ。いまのアルバイト先に辞めると言わなきゃいけない。同時並行でお話をいただいていた別の企業にお断りの連絡をしないといけない。
いまのバイト先は明らかに過剰な業務量を過小な人数で対応しているし、ようやく主要業務をマスターしたところだ。せっかく労力をかけて教えていただいたというのに、すぐに辞めてしまうのは申し訳ない。けれど私自身の将来といまの体力を考えると、続けることは難しい。申し訳ない気持ちで、いっぱいになる。
やるのも自由。やめるのも自由。
わかっちゃいるけど、難しい。「無責任じゃないか」という思いは、なかなか拭えない。
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そんな私の背中を「大丈夫」と優しく押してくれるのは、やっぱり大学院の人たちだ。
かねてより研究のお手伝い要員として私を雇ってくれている先生は、
「やりたくないとか、いまは余裕がないって場合は無理して働かなくていいから。前もって言ってくれればそれでいいから」
と、耳にタコができるくらい言ってくれている。
「大事なのは、あなた自身の研究だ」と、常に言ってくれている。
また、先生方がお仕事を紹介してくれる際は、どの先生もそろって
「もしも仕事内容が想像していたのと違えば、無理に続ける必要はありませんよ」
「これは強制でもなんでもないので、自由に決めてくださいね」
と本心から言ってくれる。
いつだって、先生と学生という立場の違いを分かった上で、十分に配慮してくれている。判断を私に委ねてくれる。
そうして、こうした言葉や態度で、やるもやめるも私の自由なのだと示してくれている。もう少し大きく言ってしまえば、「あなたの歩きたい人生を歩きなさい」「そのために必要な選択をなさい」と言ってくれているような気がしている。
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先生方を含む私の周りの人たちは、理不尽なことも、見えすいた都合の良い嘘も言わない。変わり者だらけだけれど、そう信じられる人たちばかりだ。そんな人たちからのメッセージは、私も素直に受け取れる。
やるも自由。やめるも自由。
厳密には「適切な手続きを踏んだ上で」という但し書きが入るけれど、それさえ守っていれば、その人の自由。自分の歩きたい人生のために、必要だと思う選択をしていくだけなのだ。
ああ、でもやっぱり、辞めるも断るも言いにくい。
言いにくいけど、言うのだ。
「一人が辞めたって、ちょっとのめんどくさいが増えるくらいだよ。そんなんでダメになるんだったらとっくに倒産してるって。だから気にしないの」
恋人がそんなことを言って、私の頭にぽんっと手をおいた。
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