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相手に説明するときに気をつけたい、”前提”の話

難しい話を、相手にわかるように口だけで伝えることは難しい。
相手によっては察してくれるけれど、中には全然理解してもらえないこともある。


一番わかってくれない、伝わらない相手が、恋人だ。

普段の何気ない会話や悩みごとに関しては一番の理解者で、わかってくれることも多いのだけれど。”難しい話”をこちらが説明しようとすると、途端にだめだ。全くもって、分かり合えない。

「結局、なんの話をしているの?」

「もう一回最初から説明して」

何度も何度も繰り返して話して、ようやくわかってくれたり、互いにちょっとうんざりするくらい、わかりあえなかったりする。

こんな、わかり合えない背景にあったのは、各々の”前提”の違いだった。

たとえば、『カレーの作り方』を説明するとして。私がこんなふうに説明したとする。

ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎを切ります。肉も切ります。で、切った具材を煮ます。ルー入れます。ご飯といっしょに盛って出来上がり。

雑なんだけど、でも、わからないこともないでしょ?

彼のツッコミは、こんな感じ。

”切ります”ってなんやねん、どう切るねん、適当なのでええんか?”肉”って何肉やねん。
で、それをどこに入れて煮るねん。”煮る”って言ってるから鍋なんやろうけど、でも、フライパンでも煮れるっちゃ煮れるしな。いや、でもまあ、鍋か。
あ、ご飯も炊いとかなあかんのね。最初に言うてや。

ーー切り方なんてなんでもいいし、肉も何肉でもいいよ。”煮る”って言ってるんだから、鍋でしょ。なんでそんなことまで言わないといけないの。

でも、彼は”カレー”というものを作ったことがなく、いま初めてその存在を知ったのだとしたら。
彼のツッコミは、至極真っ当なものだ。もうちょっと丁寧に説明しないといけない。

説明する際は、相手は何をどこまで知っていて、何を”前提”としていて、相手と自分とでその”前提”が共通なのか、そうしたことに気を配らないといけない。

当たり前なんだけど、互いの前提がここまで違うのだと、気づかなかった。
気づかなかったから、そうした気遣いができていなかった。

だから、噛み合わなかったのだ。

こうした前提の違いは、たぶん、それぞれの考え方の違いからきている。

恋人は、理論家だ。何か(たとえば、自分の論)をイチから自分の手で組み立てていくことを好む。

対して、私がやっているのは応用理論だ。本当にイチから自分の手で組み立てていくというよりかは、人が作ったものに少し改良を加えるということをしている。

応用の世界にいる私は、ある程度基本となる事項がある。そこからスタートしていれば、結構話は通じるし、話を端折っていても、察しがつく。”煮る”って言ったら、”鍋で煮る”が前提なのだ。

けれど、彼はそうじゃない。基本事項はもちろん知っているけれど、全ての議論がそこからスタートするわけではない。私が議論を端折るたび、いろんな可能性を考えてしまい、話についていけなくなるのだ。

「”煮る”って言ってるから鍋なんやろうけど、でも、フライパンでも煮れるっちゃ煮れるしな。いや、でもまあ、鍋か」的な考えをめぐらせていたら、私の説明が進んでいて、わからなくなっちゃうのだ。

私の普通・前提と、彼の普通・前提は、違う。
ちっともわかり合えなかったのは、そりゃあ、そうだよね。

どちらかというと、彼の前提の方が少ないのだろう。彼は、”論”をできる限り細かく、着実に積み重ねていっているんだ。だから、数段、下手したら数百段飛ばしのところからスタートされると、”意味不明”なのだろうな。

「ごめんね」を言い合い、仲直りをした。

私はこれからはできる限り前提を明確にすることを、彼は詰まったら早めに言うことを約束した。

みんなそれぞれ、普通や前提に違いがあったりする。
恋人という近い距離感で、日頃仲良く暮らしていても、まだまだわかりあえないことがある。

「わかってほしい、伝えたい」
「わかりたい、理解したい」

そんな想いに、あとほんの少しだけ、前提の違いへの注意を加えられたら。
きっとみんなもっとわかりあえるんじゃないかな。話の内容だけじゃなくて、相手そのものに対する理解だって深まるかもしれない。

当たり前のようで難しい、でも大事なこのことを、どんな人に対しても忘れずにありたく思う。


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