「与えられた環境で、工夫しながら生きる」

うまくいかない、うまくいかない、うまくいかない。

そんな感情がぐるぐると渦巻いていた。
一難去ってまた一難。研究活動は、進むごとにまた障壁が現れる。じわじわと焦りが出てくる。成果などすぐに出るはずがないのに、つい、追い求めてしまう。

うんざりな気持ちで、夕ご飯を食べながら、ぼーっとテレビを見ていた。

『家、ついて行ってイイですか?』
何度か見たことのある、テレビ東京の番組。

今日は特別編らしい。これまで「タクシー代払うから、家について行って取材させてくれませんか」の声に応じて取材させてくれた方々と、ビデオ通話してみるという内容だった。

「与えられた環境で、工夫しながら生きるのが好き」

はっとテレビの方に焦点を当てると、ビデオ通話の画面越しに、爽やかに笑う男性がいた。

この男性は、冬はマイナス30度にもなる北海道の地で、暖房なしで暮らしているらしい。極貧、なんてわけじゃなく、冬山が好きで、冬山の環境になるべく近づけて、寒さに慣れようとしているとのこと。なんてストイックなんだ。

部屋の中はたったの2度。それなのに、全く寒さを感じさせない爽やかさで笑う。

なんなんだこの人は。
え、サイバーエージェントにいたの?辞めて、なんかインターナショナルな仕事して(覚えてない)、北海道に来たらしい。

取材の日から3年が経ち、いまはキャンピングカーを仕事場にして、移動しながらお仕事したりしているらしい。なんだ、それは。

取材のあと、無暖房生活は終わりを迎えたらしい。ご結婚したそう。
お相手は、全国各地を回りながら看護師をしている方らしい。出会って1週間で「バチッときて」結婚を決めたそう。

前回の取材時よりもなんだか、よりまあるく、柔らかい表情に感じた。

そんな幸せそうな顔から発せられる、「与えられた環境で、工夫しながら生きる」の言葉に、はっとさせられた。

”咲く”じゃなくて、”工夫しながら生きる”。

たどり着いたこの場所で、「こうしたらいいかな」と工夫して、生きていく。
花でも、成果でもない。ちょっとした工夫でいいんだ。

試行錯誤しながら積み上げていく”工夫”の先に、続く道がある。その道がどこにつながっているかはわからない。
でも、追い求めるのは日々の”工夫”であって、”成果”じゃなくていいんだ。

「あのまま(サイバーエージェントに)勤めてたら、都心の高級マンションに住んでいたかもしれないけど、でもいま僕は、僕が欲しいものを持てている。大自然の静寂や暗闇という、欲しかったものを手にすることができている」

「将来は、山に登りたくないかもしれないし、登れなくなっているかもしれない。先のことはわからない。だから、いま登る」

私が欲しいものは、なんだ。やりたいことは、なんだ。
先のことはわからない。でも、だから、いまやることはなんだ。

答えは、もう心にあるんじゃないの。

画面越しにうつる、穏やかな満ち足りた目が、そう問いかけてくるような気がした。

幾度となく、同じような逡巡を繰り返してきた。
きっとまた、何度もこのぐるぐるを繰り返すんだろう。

先のことはわからない。でも、だから、いまやる。
「置かれた場所で工夫して生きる」の心を、忘れずに。


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