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私にとっての『推し』。

“推し”という存在は不思議だ。

家族や友人、恋人のように決して自分に近い存在というわけではない。
それでも、推しの写真や動画を見たり、姿を想像したりするだけで笑顔になれる。私の人生になくてはならない大切な存在だ。

私はこれまで色んな人を推してきた。
人生で初めての推しは関ジャニ∞である。
小学生の時、テレビで「LIFE ~目の前の向こうへ~」を聞いてビビっときたのだ。

関ジャニ∞を知ってからの人生はとても楽しいものだった。
中学生になると、少ないお小遣いで関ジャニ∞のCDや雑誌を買い始める。
高校生になると、ファンクラブに入会し、eighterの友人もできるようになった。彼女とともに初めて地元で開かれたライブへ初参戦したことは私のいい思い出だ。
大学生になると、私が上京したためドームツアーにも参戦できるようになった。倍率が高いからなかなか当たらないし、当たっても大抵天井席。それでも私にとっては夢みたいな時間だった。

関ジャニ∞はキャッチーな曲からかっこいいバンド曲まで、楽曲の幅が広い。トークのキレも抜群。何より7人のメンバーが少年のようにわちゃわちゃと仲良くやっている姿が好きだった。
ライブに行くたびに、「10年後も20年後もこんな風に推せたらいいな」と思っていた。

しかし、終わりは突然やってくる。メンバーの一人が脱退を発表したのだ。
まさに青天の霹靂。奇しくも自分が初めて一番近くで見れたライブが7人での最後のライブになった。
“7人が好きだったのに…。”“これから関ジャニ∞はどうなるんだろう…。”
ずっと好きだったグループだからこそ、しばらくショックを引きずっていた。

ようやく6人の活動にも慣れてきた頃、別のメンバーの脱退が決まる。
メンバー2人が抜け、一気に寂しくなったグループ。
気が付けば私が青春を注いだ『7人の関ジャニ∞』はもうそこにいなかった。
そしてようやく私は悟ったのだ。「推しに永遠などないのだ」と。

同じ頃、私はK-POPアイドルも並行して推していた。
しかし、K-POP界隈も関ジャニ∞同様、永遠に推せる世界線ではなかった。
むしろ日本よりもタイムリミットが短いと知ったのは、本格的にK-POP沼にハマった頃である。

韓国の場合、事務所の契約期間は限られているし、男性アイドルなら兵役の関係で一時アイドル活動から離れなければならない。
しかもアンチの嫌がらせが酷く、精神的にやられる人も多いのだという。
その結果、私の歴代の推したちもメンバーの脱退、グループの解散や自然消滅、果てはメンバーの自殺などを経験することとなった。

推しの存在は残念ながら永遠ではない。
もしかしたら明日突然いなくなるということも十分あり得る。
刻一刻と変化する世の中で、推したちの同じ姿が見れるということは二度とないのだろう。ただ、皮肉なことにそれが推しの魅力にも繋がっている。
儚く、それでいて一瞬一瞬を大事に生きるからこそ力強い
だからこそ私は、今この瞬間の推しを全力で推したいと思うのだ。

私は推す際に、推しへの感謝の気持ちも忘れないようにしている。
推したち(ここではアイドルや芸能人)は大変だ。
表に出る職業ゆえに、ときに事務所に叱られ、仲間との意見の対立があり、私生活をパパラッチに撮られ、アンチに立ち向かうこともあるだろう。
彼らの肉体・精神的疲労は計り知れない。
それでも、一度ステージに立てば苦労している姿を表面的に見せず、ファンのために全力を尽くす。自分たちも大変な中で、ファンを笑顔にするために色々頑張ってくれる推したちには本当に頭が下がる思いだ。

思えば私は、これまでずっと推しの存在に支えられてきた

ただ自分の人生を生きるだけなのに、なかなかうまくいかない。
何度も迷ってくじけて泣いて...の繰り返しだったように思う。
あまりにも失敗や挫折が多すぎて、生きるのが嫌になったこともある。
それでも私が何とかここまで耐えてこれたのは“推し”がいたからだ。
推したちが頑張っているから、私ももう少し頑張ろうという気持ちになれた。
私は推しの存在によって生かされたのである。
だから今度は私は推しを応援することで、推したちの支えになりたいのだ。


今日も私の推したちが心身とも健やかに生きられますように。
推したちが自分の選んだ道で幸せな人生を歩めますように。

それが推したちに対する私の願いである。
今は陰ながら推しているけれど、いつか何らかの形で推しに直接感謝の気持ちを伝えられたらいいなぁ。