ジブリと。仕事と。神様と。

スタジオジブリが好き。
何にも負けないくらい。
はじめてもののけ姫を観たのが5歳の時で、
ぼくは高校の卒論も、もののけ姫をテーマにした。

風の谷のナウシカ(歌舞伎最高だった)、となりのトトロ、天空の城ラピュタ、紅の豚。
スタジオジブリには社会現象のような人気を博した作品がこれでもかと転がっている。
そして、ここまでの力を持ったどの作品の監督も、やっぱり宮崎駿なのである。
僕が人生で唯一、映画館で3回観た「千と千尋の神隠し」は煉獄さんに滅されてしまうのだろうか。

とはいえ、宮崎作品ほど国民的にはなってはいないものの、
ずっと心に残って、人生のふとした瞬間に観たくて観たくてたまらなくなる作品がスタジオジブリにはたくさんたくさん存在している。

たとえば「コクリコ坂から」。
船乗りのお父さんを失い、大学で研究を続ける母の代わりに実家の下宿宿を切り盛りしている女子高生「海」の恋愛青春映画である。
作品の監督は宮崎吾郎。宮崎駿の実の息子だ。
初監督を務めた「ゲド戦記」が不評で、世の中に斜めからみられていた状況だったのに、
「コクリコ坂から」で世の中を納得させた空気感は本当に爽快だった。

この作品が公開されたのは2011年。
すでに高校生だった僕は、映画だけじゃなくその周辺のコンテンツを漁るように観た。
画集はもちろん、TVの特番、密着ドキュメンタリーまで。

宮崎吾郎監督の映画制作に完全密着した長編ドキュメンタリー。
僕はその中にあった1つのシーンをずっと忘れられない。

映画製作も終盤。
あとは、吾郎監督がラストシーンの絵コンテを描きラストスパートという場面。
監督はどうしても納得のラストが思いつかずに、悩んでいた。
どんなに悩んでも出口が見えない監督がある朝出社すると、一枚の設定画がデスクに置いてあった。
それは、宮崎駿が書いたもので、主人公「海」が早足で学校に向かうというシンプルな設定画。
その一枚で監督の悩みは晴れ、一気にラストまで完成するのだ。

ドキュメンタリーの演出と言ってしまえばそれまでだけれど。
個人的にはそのシーンがすごく印象に残っている。
早足で学校へ向かう主人公の姿で、監督は思い出す。
「ああ、そうだった。海は遅刻ギリギリになるくらい朝から下宿で働いて、それでも遅刻はしない。そんな女の子なんだ。」
そのキャラクター像に立ち戻ることができれば、ラストまで走り抜けることができるということなのだろう。

”キャラクターが物語を作る。”
ということなのではないかと思う。

鬼滅の刃の初代編集者へのロングインタビューでも、
漫画家さんにはまず「魅力的なキャラクターを作りましょう」とアドバイスすると言っていた。
いつだってストーリーより先にキャラクターがいる。
そのキャラクターが物語を転がしてくれる。

生意気にも今の自分の仕事に置き換えた時、一体何人が、一体幾つのCMがそこまで考え抜いているのだろうか。
ぼくらが、いや、ぼくがこれから作るCMに、キャラクターの設定の資料入れることが果たして何度あるだろうか。

そのCMの主人公は
右利き?左利き?家族構成は?恋人はいる?好きな食べ物は?趣味は?今の悩みは?好きな本は?将来の夢は?

そんな設定がセリフを決めるんじゃないかと思う。
ものを食べて「美味しい」と言うのか。「うまい」と言うのか。「また食べたい」と言うのか。
そういう大切なことをキャラクターが決めてくれるのではないか。

今までコンテに書いてきたセリフは本当にそのキャラクターの言葉として正しかったのか。
本来ルフィのようなキャラクターに「ぼくは海賊王になりたいんです!」なんてセリフを言わせてはいなかったか。

いつだって神様は細部に宿るはずなのに。
働き方改革と効率化と。
僕らの作るもののクオリティは本当に別問題なのか。

自分をクリエイターだと名乗る人を、業界では小馬鹿にする空気が若干あるけれど。
自分たちはモノを作っているというプライドこそ、大切になる時があるんじゃないか。

そんなことを思うと、「ちはやふる」のセリフが飛び込んでくる。

本当に高いプライドは
人を地道にさせる
目線をあげたまま



明日も、
ちょっとだけ芽生え始めたプライドを大切に大切に守りながら、
地べたを這いつくばって進む。

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