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イメージが浮かぶ文章を、言葉遣いを

編集長になったからと言って、私の在り方は何も変わらないようです。

文章ばかりを考えているし、文章のことばかりを考えている。

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これは少し前に手帳に書いたイラスト。
永井宏『愉快のしるし』の中に出てきた一節を読んでイメージが浮かんで衝動に駆られた結果の産物です。
その一節とはこちら。

部屋の片隅に置いてあった本に小さな虫。なんだろうと近づいてみるとあっちこっちに逃げ惑う。そのままドアを開けて、外で払おうとしたら、みんながみんな本の下に糸を出してまるでマリオネットの持ち手のようになる。

この文章を読んだ時に、↑のようなビジュアルイメージが浮かび、
実際にこのような状況に遭遇したら「気持ち悪っっ」となるかもしれないのにまさに愉快な気持ちにさせられ、ゆえにこのイメージと感覚を描き残しておきたいと思ったのです。

そして描いて思ったのです。

あぁ、こんな風に【読む人にイメージを想起させる文章を書きたいな】と。

これは全く私の想像でしかないけれど恐らく、
イメージを想起させる文章というのは、書き手側にも瑞々しいイメージや感情・感覚があって書かれているものなのだという気がします。
決して私が描いたビジュアルとイコールではないかもしれないけれど、永井さんもこの蜘蛛の子らを愉快に、愛おしく眺めていたのではないでしょうか。

永井さんの書く文章というのは本当に豊かなビジュアルイメージを誘うものばかりで、例えばこんな一節。

朝、庭に出て冷たい風に包まれると、深呼吸する意味がわかる。体の中にもその冷たさを入れて、昨日溜まったものを最後まで吐き出し、朝の体にする。それで、ようやく珈琲を飲み、一日を始める。そして最初に行なうことは笑顔の練習で、今日も楽しく笑って過ごすことができるか試すこと。

これも読んだ時にものすごく心地良い気分になりました。冬の朝、寒いんだけれど凛とした空気を取り入れた時の清々しさが思い起こされました。そして、笑顔の練習がしたくなりました。


先日、文章はあくまで編集の中の一パーツに過ぎない的なことをつぶやきましたが、そうは言っても私は文章を書くこと、言葉を紡ぐことが好きな(それしかできない)人間なので、やはりより良い文章を追求したくなってしまいます。
そのうえで、この永井さんの文章を読んで感じて私が思ったのは、

読み手が読んだ時にイメージが浮かぶ文章を書きたい、そういう言葉遣いをしたい。
そしてそれは、
書き手が鮮やかなイメージを抱きながら書くことで成し得ることなのではないか。
ということです。

こればかりが正解、はたまた効率の良いやり方なのかは、わかりません。
でも、私自身はこういう文章に心が躍り惹かれます。
その心にまずは素直に従って、文章を紡いでいきたいなと思います。


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