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自分になぞらえながら読む、村上春樹『雑文集』
かなり個人的に、密室的に音楽を聴いていました。僕の音楽の聴き方は、基本的に現在でもそうですね。一人で聴いて、一人で「いいなあ」とか思っている。それについて人と話をすることはあまりないですね。
⇒共感。私も、音楽ではないけれど、自分の好きなモノ・コトに対する時はそんな感じ。好きなモノが共通する人やそういう話をする場に遭遇すれば話すけれど、自分から、誰にも彼にもおすすめする、ということはあまりないな。それが良いとか悪いとか、ましてや村上春樹と一緒で凄いでしょ(笑)ということでもはなく、そういうことでも良いんだと肯定された感じでちょっと嬉しい。一人だけで楽しんでるのって、もしかして孤独?と思う自分もいたから。
もちろん悪い音で聴くよりは、いい音で聴く方がいいに決まっているんだけど、自分がどういう音を求めているのか、どんな音を自分にとってのいい音とするかというのは、自分がどのような成り立ちの音楽を求めているかによって変わってきます。だからまず「自分の希求する音楽像」みたいなものを確立するのが先だろうと思うんです。
これ、音楽や音を自分の好きなもの、ひいては〝自分の生き方〟に置き換えることができる気がする。村上春樹の文章は、特定のテーマについて書かれていたり、フィクションの小説であったとしても、普遍的なメッセージが盛り込まれていることが多いように思う。
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