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会津高田町 昭和40年代の記憶

会津高田町という町名は、今はもうない。
平成17年に会津本郷町・新鶴村と合併し、会津美里町(福島県大沼郡)となった。
しかし、美里町と言われてもピンとこないので、私の中では、いまだに「高田」のままだ。

この一帯は、会津盆地の南西部にあり、冬は雪深く、夏は暑い。
肥沃な沖積土壌と、豊富な雪解け水に恵まれ、太古よりコメの一大産地なのだ。

小さい頃、毎年お盆になると、家族で会津高田の祖父の家へ行った。
福島駅から、ディーゼル急行「あがの号」という、肌色で、赤いラインが入った電車に乗った。
キハ58系気動、国鉄が1961年に開発した急行形気動車(ディーゼル動車)で、1980年代までは日本全国を走り回っていた。

あがの号は、東北本線の仙台が始発で、郡山からは磐越西線に入り、会津若松から先は、ほぼ「阿賀野川」沿いを走り、終点の新潟へ向かう。

電車を待つ間、ホームの売店で、冷凍ミカンを買った。
外側に薄い氷がたくさんひっついているのがうれしくて、それを大きめのハンカチに包み、頭や首に押しあてると、うだるような暑さから、一瞬だけ解放された。

グルグルグル…という振動が車両に伝わり、ガーっといいながら電車が動き出すと、さっきのハンカチからみかんを取り出し、冷たい皮をしょりしょりむいて、ひほひほ言いながら食べた。

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