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『会津の八百比丘尼(やおびくに)伝承~金川寺(きんせんじ)』②


中国道教では、不老不死としてアワビも珍重された

八百比丘尼伝承には道教の影響もあるようだ。
金川寺の伝承では、一行が竜宮城へ招かれたのは庚申溝(こうしんこう)の夜だ。
人間の体には三尸(さんし)の虫がいて、庚申の日の夜、寝ている間に抜け出し、天上の閻魔大王帝にその人の行状を報告すると信じられ、人々は一睡もしないという風習になった。

古来中国の道教では不老不死の薬を追い求めた。水銀や金から作る妙薬のほかにアワビなども珍重されたという。
紀元前3世紀、秦の始皇帝が徐福に命じて不老長寿の薬を採りに行かせた話は日本各地に伝わるが、この徐福と始皇帝の子孫が不老不死の常世信仰を日本にもたらしたともいわれる。
その常世の地名が金川寺のすぐ近くに今も残ることは、既に述べた。

八百比丘尼の像とお堂は、小浜の空印寺と会津の金川寺の二か所だけ

金川寺の住職から貴重な資料をいただいた。八百比丘尼伝承は日本全土で116か所あるという。県別にみると空印寺のある福井に一番多く、日本海側に比較的多く分布しているようだ。(伝承の分布等には諸説ある。)

伝承の北限が福島だという分析も興味深いが、八百比丘尼の像とお堂は、小浜の空印寺と会津の金川寺の二か所だけに残るというから、何か特別な意味を感じてしまう。

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太田保世氏は『八百比丘尼伝説』で、八百比丘尼の姿と修道院の尼僧の姿を重ね合わせ、「教団化した組織あるいは学校のようなものから、つぎつぎ、多数の八百比丘尼が生まれ、時代を超えて生きていったのではないかという推理ができないだろうか。その拠点が若狭にあったと想像するのである。」という。

その背景として、若狭は古来より外来の文化が流入した場所で、白山にも近く、道教、仏教、神道、自然崇拝などが混淆しやすい環境にあることも重要だとするのだが、興味深い指摘だ。

八百比丘尼伝承と酷似、高句麗「浪奸(ろうかん)物語」

祖田修氏は、八百比丘尼伝承と同じような話が、朝鮮半島の高句麗(平城)に「浪奸(ろうかん)物語」として伝わっていたという。

「漁師の父親が竜宮城から人魚を持ち帰り、戸棚に隠し置いたが娘が食べてしまう。そのため娘はいつまでも年を取らず、百歳を超えても若々しかったが、男たちは恐ろしがって近づかなかった。娘は結婚して子供を産みたかったが叶わず漂泊の旅に出た。

やがて故郷に帰り牡丹台に庵を結び、祈願塔を建てたが効果がなく、300歳の時に牡丹峰に登り姿を消したという話しだ。」(『長寿伝説』)
300歳と800歳の違いはあるが、この話は八百比丘尼伝承とほぼ同じストーリーだ。

祖田氏はさらに、小浜には朝鮮半島から仏教が伝来した頃に、このような物語と比丘尼の制度が伝えられたと考える。

磐梯山の山岳信仰、海洋民族の移住、常世思想、早くからの仏教伝来など、会津には、古代の若狭と共通する文化背景があった。
猪苗代湖を水源とする日橋川は、やがて阿賀川となり新潟を超えて日本海に流れる。このルートこそ古代より会津文化を支える大動脈だ。

金川寺はその日橋川から東へ200メートルほどの距離だから物流にも恵まれている。(移築されたと伝わるが近距離だ)。千代姫が食べてしまったアワビも、このルートで会津へ運ばれたのかもしれない。

小浜の若狭湾も古来より海女が定住した地域で、海女の多くは朝鮮半島から来たともいわれる。金川寺の八百比丘尼堂に刻まれた海女の姿は、半島から小浜そして会津をつなぐ比丘尼の足跡ではないだろうか。


会津の伝説の中国僧「青巌」

会津坂下町の高寺山には、仏教公伝(538年)の少し前に、中国大陸の僧・青巌(せいがん)が仏教を伝えたとする伝説がある。

青巌はおそらく梁の国(江南地方)の僧で、朝鮮半島を経由して日本へ渡り、日本海沿岸を北上し、新潟から阿賀野川沿いに会津に入った。
小浜の八百比丘尼の拠点設立が仏教公伝の頃(祖田氏)だとすると、青巌の会津入りの頃と重なる。
「浪奸物語」の伝承を携えて日本列島へ渡る集団と青巌には接点があり、会津の青巌と小浜の人々との間には、その後も太いつながりがあったと考えてみる。

八百比丘尼の像とお堂は小浜と会津に残る。

これは八百比丘尼の拠点が会津にも存在したことを伝えているはずだ。
若狭と会津は太古から共通する文化の背景があった。
さらに会津は青巌により早くから仏教が伝えられた地域なのだから、北の拠点として多くの八百比丘尼が集うだけの成熟した文化圏が形成されていたに違いないのだ。

金川寺の八百比丘尼像(木造)は像高が約85㎝、彩色された見事な像である。
ふっくらしたお姿でお顔は白く上品に化粧がなされ、とても健康的な印象を受ける。

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「八百歳の誠のこころに残し置く、誓を結べ後の世の人」と唱えて拝礼すれば、福寿長久で願いがかなうと信じられ、美を保ちながら寿命を終える事が真の人生だとされる。

会津の八百比丘尼伝承には、古代からの歴史が数多く刻まれていることがわかった。
その長寿が意味するものを追求すれば、さらに多くの視点を与えてくれるはずだ。

今回もまた、不思議のクニ会津の魅力に出会う旅となった。
(終わり)

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