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【この本を読んで考えた】ルビンの壺が割れた

ルビンの壺(ルビンのつぼ、Rubin's vase)とは、1915年頃にデンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した多義図形。

背景に黒地を用いた白地の図形で、向き合った2人の顔にも大型の壷(盃)にも見えるという特徴を持つ。
ウィキペディア

新たなメッセージを読む度にこの男性はどういう人間かこの女性はどういう人間か?
そして過去の二人の関係の見え方が変わってくる。

これは自分達の身の回りでもよくあることではないだろうか。

例えば何か事件が起きた時、ニュースなどを観て、まだ詳細がわかっていないにもかかわらず、与えられた情報だけで「あの人が犯人だろう」と直感で思ったら、その人がインタビューに答えている映像を見てもそういう目で見てしまう。

そして、新たな情報を得る度に見方がコロコロ変わっていく。

身近な所で言えば、学校や職場で、誰かの噂などから個人のイメージを決めてしまうというのも同じではないかと思う。

最初は「良い人」と思っていたのに、他からその人の情報が入ってくる度に「厳しい人」「恐い人」「酷い人」というふうに見方が変わってくることがあるかもしれない。

ただ、そうなればタイトルの「ルビンの壺」だけれど、同じ状況下において、どちらにも見えないといけないわけで、情報が増えるに従って見え方が変わるということを指しているのではないのではないかと。

そこで、結末まで読んだ上で、さらっとだけれど再度読み返してみた。

どちらが正しいというのは違うかもしれないけれど、「どちらの気持ちをわかってあげられるか」という目で見たら、最初1も2もなく、これはダメだろうと思い込んでいた側の気持ちにも沿ってみようとする自分がいた。

もしかして、作者のいう「ルビンの壺」はこのことなのだろうかと。
これは読む度に見え方が違う小説なのかもしれない。

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