【本当にあった不思議な話】ひいおばあさん
大好きだった曾祖母。
明治生まれの人だ。
曾祖父の後妻で、祖母とは血が繋がっていないので、もちろん母も私も血が繋がっていないのだけれど、すらりとした美人で、立ち居振るまいもきれいな人だったように覚えている。
幼い私は街中で、母と祖母がそばにいるのに、よりによって三人の中で一番年老いた曾祖母におんぶしてくれと言ってきかなかったらしい。
「あんたもう、困ったんやで」と後に母から聞いたのだけれど、確かに人目もあることだし、母としては困っただろうなと思う。
曾祖母がお尻のことを「おいど」トイレを「お手水(ちょうず)」などとと呼んでいたのを、子どもの私は年寄りの言葉で垢ぬけていない言い方だと勝手に思い込んでいて、それが京都の方の上品な言葉だと知るのは大人になって、それもずっと後になってからのことだった。
曾祖母は若い頃奉公にいっていたことがあったそうで、そこで和裁をしていたらしい。
「奉公に行ったところのお嬢さんが……」と昔を懐かしむ様子がなんとなく記憶にあるのだけれど、当時の私はそういう話に興味がなかったのだろう。
お嬢さんがどう言ったとかどうしたとか全然頭に残っていない。
もっともっといっぱい話を聞いておけばよかったな。
そんな私が好んで聞きたがったのは恐い話。
私の怪談好きはどうやら幼い頃からだったようだ。
ある人が、知らない人から、お手洗いに行く間ちょっと赤ちゃんを抱いていてもらえないかと頼まれて赤ちゃんを預かるが、いくら待ってもその人がトイレから出て来ず、抱いている赤ちゃんはどういうわけかどんどん重くなってくる。ふと見たら、いつの間にか赤ちゃんが石に変わっていた、という話。
怪談でよく聴く話であるが、この話を教えてくれたのも曾祖母だった。
後、曾祖母の弟だったか、叔父だったか、そこは私の記憶がおぼろげなのだけれど、身内が亡くなったことが、ガラス戸に大きな虫が張り付いていてわかったという曽祖母の体験談も教えてもらった。
私がまだ幼稚園にも行っていない頃だったと思うが、曾祖母がお人形の着物を縫ってくれた。
布の柄から察するに、おそらく母か私の赤ちゃんの時の着物の端切れで縫ってくれたのだろう。
大きくなってお人形達は手放してしまったけれど、唯一この着物だけは手元に置いておいたのだ。
そんな大好きな曾祖母が亡くなったのは、私が小学三年生ぐらいの時だった。
その頃には曾祖母は寝たきりになっていたのだけれど、前日曾祖母の妹が遠方から会いに来ていた。
その夜、一階で寝ていた私が誰かに名前を呼ばれた気がして目を覚ますと、母に二階に行って寝るようにと言われ、追いやられるようにして二階に移動した。
途中に通る部屋から、ちょうど曾祖母が寝ている部屋が見えるので何気なく目をやると、曾祖母は体を起こし布団に座った状態でこっちを見ていて、傍に曽祖母の妹が座っていたのが目に入った。
私が居るところは電気がついていたが、曾祖母の部屋は暗がりで、髪が乱れて、大きく見開かれた目に光が当たっていたのが印象に残っている。
私はそのまま二階の座敷で寝なおして、朝になったら、曾祖母が亡くなったことを知らされた。
大人になって、母にその時の話をしたら、そんなはずはない、亡くなる前に起き上がったり出来るはずがないと言われ、そういえばずっと寝たきりだったのに、たとえ支えてもらったとしても起き上がることは無理だと納得。
寝ていたときに名前を呼ばれたのも、曾祖母の声のように思えるのだけれど、あの状況であんなしっかりした大きい声が出るはずもなく。
でも、あの情景は今でもしっかり目に焼き付いている。
もしかしたら曾祖母は私に何か言いたかったかもしれないのにと、あの時そばに近寄ることをせずにそのまま二階に行ってしまった事がとても悔やまれる。
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