私とオカン

私とオカンは、あまり仲が良くない。

それは、遡ること15歳くらいの時かな、そのくらいの時期からオカンは、高校を卒業したら家を出ていけ、お前の世話にはならない、弟の世話になるからいいんだ、と常々言っていた。

私は2つ下の弟と2人兄弟。
父は、16歳の時に急死した。

別にいいんだけどね。
けど、そのために目いっぱい弟を贔屓して育てたし、私は野放しだった。
それでもグレずにね、ちゃんと高校卒業して、大学にも(自力で)行って、お財布に75円しかないときだってあった貧乏OLだったけど、自分で、東京で賃貸マンション借りて一人暮らししてたんだよね。

そんなある日、当時まだ東京の国立大学に通っていた(多分5年か6年目)弟が病気になった。
田舎にいた母は、すぐさま私に連絡してきて、今すぐ面倒を見ろ、という。
いや、いいけど。見るけど、そりゃ。血縁者だし。近くに住んでるし。
けど、自分は病院代を送る以外何もせず(もちろん私の交通費やそういうのも出してくれたわけじゃない)、毎日のように仕事・病院の往復だった私。半年間、へとへとだったんだよ??

退院しても、弟の病気は治らない難病だった。
そしたら今度は、一緒に住め、という。
私の自由はどこに?あなたの大事な息子のためには、娘は犠牲になれと?
怒る気持ちを抑えつつ、休学から復帰した弟が大学を終えられるまで、同居を承諾し、面倒みた。家賃はオカンが払うからという条件で。
まあ、裕福なOLでもなかったから、家賃出してもらえるのは正直ありがたかったけど、看護はかなり大変だった。

何度も高熱を出したり、当時はすでに人口透析が必要にもなっていたから、夜間クルマを運転して救急外来に連れて行ったり(朝4時までいて、帰宅してから仕事に行ったからほぼ徹夜・・・)、約7年間、何度もそれが繰り返されるので、本当に大変だった。

なので、弟が就職し、収入が得られるようになったとき、母を呼ぶことにした。
弟の世話を母がするという前提で。
これで、私は、やっと看護&介護から解放された。
ただし、弟の収入と母の年金(この時65くらい)だけでは生活できないので、同居は前提だけど。
なので、3LDKの区の賃貸(障害者1級になっていたので、この手の施設には優先的に入りやすかった)に移り、その代わり、離れた広い部屋をもらい、彼らとは離れて生活した。
いわば、『家庭内別居』。
これはこれで、遅く帰ってきて、早く出ていく私にとってみれば、生活時間帯が違うので、ほぼ顔も合わせることもないので、ちょうどよかった。
時々、母親ぶってうざい発言をするから、それに対しては、うるさい。私にかまうな、とだけ言って、家を出て行けば、不快な思いをしなくて済む。

だってそうでしょう?あんたの世話にはならないといって、約10年、弟の面倒を見させたのは、誰?
私が付き合っていた当時の彼と別れ、結婚もあきらめたの、誰のせい?
これ以上、私の人生に関わるな!
としか、私には思えなかったし、ま、ぶっちゃけ、今も同じ思いは消えない。

ある意味、毒親、だからね。

ただまあ、ますます介護が必要になっていった弟に対して、24時間ずっと世話をしてくれる人がいるのは、正直助かったし、60後半のオカンも身体的には大変だっただろうけど、本望だっただろう。大事な息子なんだから。

引っ越してきてから約3年後の年末、弟は難病による血液の疾患でこの世を去った。
2007年だったかな。
最後は、強皮症にもなっていたし、骨粗しょう症(人工透析の副作用)からくる腰椎骨折にもなっていて歩けなくもなっていたし、辛そうでもあったからね、楽になれてよかったね、というのが当時の感想。

私自身はね、彼に対しては、できうることはしてあげた、と思っているし、ほかにできることがあったかな、と思うときもたまにあるけど、うん、きっとこれでよかったんだよ、と思った。

一方で、オカンに対しては、どうしたものかと考えた。
年齢的にも70歳くらい。
実家を引き払ってきているから、行く場所はない。(まあ、考えたらこの時、郷里に帰しておくべきだったのだけど・・・)
しばらくは、あれだけ大事にしてきた息子を亡くしたのだから、落ち着いて荷物の整理をできるようになるまで、この家の維持は大変だけど、何とかするか、と思った。
当時、私も仕事が忙しかったから。
引っ越したり、家を探したりする時間なんて毛頭ないからね。

そして、そのまま同居を続け、ただ、私の生活は、それまでの『亭主元気で留守がいい』のまま、ほとんど家にいない生活で変わらなかった。
なので、オカンはオカンで、このマンションのコミュニティに参加してたり、新しい仲間を作ったりすればいい、そういう母娘関係もあるだろう、と思っていた。
事実、オカンは麻雀サークルだったり、老人会主催のバスツアーだったりに参加してたりもしたのでね、それなりにうまくやっていたんだろうと思う。

そうしているうちに、10年はあっという間に過ぎ、ちょうどその頃、縁があって私が結婚することになった。
このタイミングで引っ越して別々に暮らす、選択もあったけど、幸いにも旦那さんが同居しようという話をしてくれたので、元から広かった私の3LDKの賃貸にね、旦那さんがやってくる形で、同居が始まった。
それが、2017年のこと。

ちょっと長くなったから、今日はここまで。

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