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親という独裁政治家に潰される毒親育ち達

こんにちは、もっちーです。

今回は、
「親という独裁政治家に潰される毒親育ち達」
という話をしていきます。

「親孝行なんてしなくていいです。その理由は…」
という記事と似た話ですが、

「親孝行をしろ」
「親の言うことを聞け」
「親を大切にしろ」

と言われてきて、
それで苦しんでいる人に
とても刺さる内容となっています。

これらの言っていることの意味は分かる。
でも、この理不尽感はなんなんだろう?

という苛立ちや憤りの気持ちの
理由が分かることで、
心がスッキリとして楽になります。


上の立場と下の立場

上で出た記事で言っていた儒教的な話でもありますが、
家族というのは、社会に沢山ある
一番小さなコミュニティ
になります。

コミュニティとは人々の集まり、
つまり共同体のことです。

社会にあるコミュニティの一例を
小さいものから挙げていくと、

家庭<近所<会社<地域<市区町村<都道府県<国<地球
となります。


家庭というのは、
夫婦や親子、兄弟からなる人間関係のことです。

たった2人しかいなくても、
共同体と呼べるんですね。

この共同体は、規模感は様々ですが
どんな共同体であっても、
横のつながりと縦のつながりで構成されています。

家庭なら、上から
父親>=母親>兄弟
となるケースが多いです。

これはあくまで例で、
男尊女卑的な思想はありませんし、
なんなら母親が上にくるケースもあります。


縦のつながりで上位にいる存在は言わば、
猿山のボス猿
みたいなもので、

下位の猿より権力が強く、
良いメス猿を得られたり
食べ物も先に得られたりします。

ただし、その代わりに

ボス猿は群れを統率したり、
外敵と戦ったり、
下位の猿を守らなければいけません。


この猿山の例は、
人間のコミュニティでも同じです。

家庭においても、
上にいる人間は特権を得る代わりに、
下にいる人間の為に力を尽くさなければいけません。

ちなみに、会社や国でも同じで、
上にいる人間はお金などの高い報酬の代わりに、
責任を負う義務があります。

上にいる人間が、
力を自分の為だけに使ったり
責務を全うしないと、

下にいる人間にしわ寄せが来て、
最終的にコミュニティが崩壊します。

だから上に立つ人間は、

自分が大きな力を持っていることを自覚して、
自制しなければ、下の人間が犠牲に
なることを知っていなければいけない。


そして、逆に下にいる人間は
得るものが少ない代わりに危険が少ない
です。

例えば、会社員なら給料は少ないが、
今月どうやって従業員に給料を払えばいいだろう?とか
今後どうやって利益を出せばいいだろう?とか

そんなことは考えなくていいので、
ある意味では楽です。


ただし、下にいる人間は
上にいる人間に奉仕して、
上位の立場であり続けさせないといけません。

なぜなら、上にいる人間が潰れると
やはりコミュニティが崩壊するからです。

従業員が全員、非協力的だと
社長も手が回らなくなって潰れて、
結局全員、路頭に迷うような感じです。


つまり、ここまでをまとめると
コミュニティを維持するためには

上の立場の人間は下の立場の人間を守り戦い、
下の立場の人間は上の立場の人間を
敬わなければいけない。

これが、本来
「親孝行をしなければいけない理由」
になります。

ところが、毒親とか
勘違いした人間というのは、
自分が持っている権力に酔ってしまい、

その権力を私利私欲の為だけに使ったり、
下の存在に責任を押し付けます。

毒親が子どもに理不尽を押し付けたり、
自分の要求を押し通したり、
子どもの意見を封殺したりすることです。

コミュニティが大きくなって
国レベルでこれをやる国が、
独裁国家なわけです。

この記事のタイトルの
「親という独裁政治家に潰される毒親育ち達」
というのはそういう意味なわけですね。

だから、毒家庭というのは
独裁国家と変わりません。

親を捨てざるを得ない苦しみ

ところで、
YouTubeの動画についたコメントで
このようなものがありました。

今時の親を捨てればいい、という安易な方向にも違和感を感じます。
親が捨てた親(祖父母)をみて、子供はそれも学びます。

実は、僕もこの考えには同意します。

というのも、人間の理想となる営みから
離れた生き方になるからですね。

ただし、それはあくまで
理想的な家庭だった場合です。


毒親育ちの人たちが
「毒親はヤバい人だから捨てよう!」
という決断に至るまでには、様々な葛藤があります。

何も悪くない子どもが理不尽に苦しみ、
最大限やれることを探して
家族を繋ぎ止めようと努力してきた。

その結果、

「もう、自分にはどうすることもできない。
だから、親から離れて生きていこう」

と決断します。

その決意を、怒気を込めて
「親を捨てる」
と表現しているのだと思います。


できない親孝行をしようともがいたり、
独裁国家の中で圧政に苦しむのではなく、

まずは独裁国家から離れて自分の国家を作り、
自分という存在を癒して育てていく。

そして、自分が良い
コミュニティを作って生きていくことが
肝心ではないかなと思います。


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