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陸上競技部 大学2年

今日は、疲れた体を癒すために。ランニングはお休みしました。
ランニングの距離を増やし、ダイエットをして、もっと速くなりたい。

逸る気持ちを「急がば回れ」と落ち着かせる。そんな1日でした。

さて、今日は大学2年生の時を回想します。

私は、大学3年、4年の時に、持病でほとんど活動を出来ていませんでした。練習しては持病に悩まされ、練習を欠席していました。よって、大学時代の回想シリーズはここまでとなります。今、練習のしすぎを恐れるのも、この時の経験が活きているのだと思います。当時は、確かに無理をしすぎでした。

本当に難しいことですが、力をつけたとしても、箱根駅伝を走ることは出来ません。ある種、「運」も必要なのだと実感したのが大学時代でした。でも、そのおかげで今も、「物事を成すためのスタートライン」に立てるようになったと思っています。力をつけるのは、「最低限」という事です。

大学2年となり、後輩が入ってきました。同じ福島県出身の後輩も入ってきて(高校時代に面識はありませんでしたが)、何となく気分的にも盛り上がりました。長野出身で仲良くなった後輩は、何の因果か、箱根駅伝時に付き添いに指名される事になります。

私の大学は、箱根強豪校であり、周りからは指導が厳しい大学と思われていましたが、私は全くそうとは思いませんでした。いわゆる体育会系のノリもなく、先輩後輩のマナーも最低限で、個人的には「なぜそういったイメージになるのか」と未だに疑問です。そんな大学だったからこそ、私は頑張れたのかもしれません。体育会系のノリだったら、私は潰れていたでしょう。

なぜあそこまで頑張れたのか、今でもわからないことがあります。しかし、監督の温かい指導、先輩の助言、一生付き合える友との友情に助けられ、着実に力をつけた上で、飛躍の夏を迎えることが出来ました。

夏合宿では、一時期トップチームで練習に参加する事を許可されます。距離走中にお腹が痛くなりトイレに2度行って、残り3キロ?で離れることになりますが、、、監督には、ものすごく叱られました。「自己管理がなっていない」と。本当にすみませんでした…。笑

着実に練習を積めたおかげか、合宿最後の日の30キロも、距離に強い先輩についていく事を許可され、35キロ走を不足なくやり切る事に成功します。(その後、先輩は40キロまで行っていました)

夏が終わり、9月の日体大記録会。14分43秒くらいだったとは思いますが、、、。これが私の5000メートルの大学時代自己ベストとなりますが、正直悔しい思いで一杯でした。もっと練習を積めていたはず、という気持ちでした。同じ練習をしていた選手は、14分20秒台で走っていたので、、、。

10月(確か)は、青東駅伝という駅伝に出走。2本の出走でしたが、1走目の盛岡市発で好結果を残した(トップとの秒差が少なかった)おかげで、2本目は長い距離を任せてもらえるようになりました。(確か、14キロ超の、その日のエース区間だったと思います)

悔しかったのは、同じ大学に在籍していて、他の都道府県で出場していた選手に抜かれた事。でも、この時の10キロ通過は30分(29分40秒?)を切っていたので、個人的にはベストを尽くして走れたのかな、と思っています。区間順位も、エース区間を走るという意味では、それほど悪くありませんでした。

以前、私は上りに強いとnoteに記入したのですが、箱根駅伝の5区、いわゆる「山上り」では声がかかることはありませんでした。自分で直訴してみようと思った時期もありましたが、上りに対しての適性はあったとしても、当時のチーム状況から参加できるほどの走力は私には無かったのではないか、と今では思います。大学名がバレるので、いろいろ曖昧に書いています。

2年か3年の頃。箱根メンバーを除いた中で12月31日に10000メートルを行い、そこでは30分10秒くらいで1着になりました。箱根メンバーを除いては、当時は一番強いと言って良かったのかもしれません。(もちろん、故障者もいたので、一概には言えませんが)

大学時代のハーフマラソンの自己ベストは、1時間5分58秒。立川ハーフにて、30位以内で走っていました。調べてみたら、今の立川ハーフで30位以内は、1時間3分台なんですね、、、。時代が変わり、高速化が進んでいるなと驚きました。

朝練のキツさ、雨の中での高架下のジョグ、暑い日にジュース代を持って行って途中給水した事、距離走が終わった後のたぬきのチキンチキンの美味しさ、5キロ先の距離走スタートラインに行くまでのしんどさ、砧公園の癒し、快調走後の1000メートルでの勝負、じゃんけんぽんの弁当の美味しさ、スピード練習をやる前の、独特の緊張感…。こうやって書いてみると、食事についてが多いですね。。。どれも記憶には残っていますが、文字に書き写すことで「もう一度頑張ってみよう」という思いが強くなります。

この歳から走り始めることについて。学生時代とは状況が全く異なります。社会人となり、結婚もして、比較できる環境ではないのも承知しています。塾講師は、特に冬は受験指導もあり、身動きが取れなくなります。時期的に、休みも減るでしょう。そんな中で、私がなぜ走りたいと思ったか。

「今の自分の可能性を、試してみたい」

学生時代のような、いわゆる誰がみてもわかる速さ、強さを求めているわけではありません。市民ランナーとして、日々の自分の生活に潤いを与え、かつ達成感を味わいたい、と思っています。

夢を持たない人間が、他者に対して「夢を持て」など、言えるはずがない−−-。私が、ここ2、3年思っていることです。夢には人それぞれ違いがあり、私の場合は、ランニングを通じてもう一度、自己実現を果たしたい、ということです。肩肘はらず、自然体で臨みたいと思います。

もちろん、他にも夢があります。私は、夢多き大人なのです。笑

今後も練習日誌を書いていくつもりですし、学生時代のネタはまだありますので、今度は中学〜高校時代あたりを書いてみましょうか。皆さんに、なんとなく面白いと思っていただいたら幸いです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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