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陸上強豪校ではない人に、今知ってほしいこと①(次回からは有料に…)

有料記事に挑戦してみようと思います。挑戦しようと思ったのは、私の過去についての記事です。

きっかけは、クラブのnote記事です。

私にとって走ることは、過去との繋がりを切っても切れないものです。

よって、過去を振り返って書いてみたいと思います。これは、現在強豪校ではない学生に読んでほしいです。私は、中学→高校、高校→大学と、それぞれの範囲での強豪校へと進学した身で、「強豪校ではない選手は、何を知らないか」を知っている人間なのではないかと思います。

私の大学時代のベストは、ハーフが1時間5分57秒、5000mが14分43秒という、今で言えば凡庸なものでした。

ハーフは、当時の学生の中では割と速い方かなと。3年時の日本学生ハーフでのタイムなので、あと1年、伸びていれば面白い存在だったと思います。4年生の頃は事情があり、全く伸びませんでしたが…。

当時はあまり大会に出られなかったので、もっと大会に出ていたら、もしかしたらもっと速いタイムで走れていたのかもしれません。

たぶん、5000mのレースは、4年間で片手で数えるくらいしか走っていません(3回くらい??)。10000mにおいては、学内での箱根組を除いた大晦日記録会で30分ちょっとくらい(その時は、一応1番でした)。記録会には出ていないのでは…?ハーフマラソンも、両手で数えて収まるくらいです。そもそも高校までは3000msc(障害)の選手だったのに、大学では一度も走っていない(笑)。

駅伝は、大学の代表としては1回。アンカーで抜かれるという大失態…。県代表としては、青東駅伝という駅伝と、新潟で行われた環日本海駅伝という駅伝に出ました。それから、地元のふくしま駅伝も一度くらい走ったような…。あんなに駅伝が好きだったのに、大学時代は練習の毎日に明け暮れ、ほとんどレースに出ていませんでした。

来る日も来る日も走ってばかり。それでも「楽しかった!」という感想しか出てこない、謎の大学時代のお話です。

さて、それでは大学1年生の頃のお話です。

私は、高校3年生の夏で陸上を一度引退しています。高校時代のベストタイムは、5000mが15分17秒、3000mscは、9分26秒でした。1秒~2秒足りなくて、インターハイを逃しました。高校は、今ではあまり全国大会では聞きませんが、当時は強かった高校です。福島は、今や全国でも学法石川旋風ですもんね。

本当は、地元の国立大を狙っていました。それがダメで、かつ浪人することが嫌で、関東の夜間部で昼間も通える大学を探します。そして見つけたのが、母校です。福島から関東へ、単身で出てくることになります。

幸いにも、監督は福島出身。ちょっとホッとします。しかし、私の卒業した高校は一応駅伝強豪校にも関わらず、1人も大学へのスポーツ推薦での進学者がいない大学でした。その理由は、いずれ監督から明かされるのですが、ここでは伏せておきます。(大学2年生くらいの話かと…)

私のように一般受験で入学してくる生徒は当時は多く、マネージャーも含めてたぶん10人位だったのではないかと思います(忘れている人がいたらごめんなさい)。

スポーツ推薦組は10人。しかもその生徒たちはスカウトされ、競争に勝ち残ってきた生徒たちです。

入学当初、監督と世間話をしていただく機会に恵まれた私。走りながら監督から言われた言葉は、「走りが固いから、砧公園をジョグしてこい!」でした。よって、入学後は半月ほど、1人、または一般受験組と共にジョグしていました。また、朝練の後は筋トレ。高校時代にはあまりやらなかった上半身の強化をしました。

「推薦組は本格的に練習しているのに…。これでいいのかなぁ。」

心の中では、葛藤していました。

それでも、ジョグはちょくちょく不整地のある砧公園に行きました。通いつめました。結果的に、私が夏までにつけられたのは「柔らかい脚筋肉」と「上半身の筋力」だったと思います。

逆にいうと、この2つがないと通用しない。そういうメッセージだったんじゃないかな、と思います(本当のことは分かりませんが…)。

ジョグの期間が終わり、私は少しずつ練習に参加しはじめます。当時はチームが3つあり、一番下からのスタートです。当時は、練習についていけないとジョグに戻されました。厳しいなと思いながらも、慣れてくると心が燃えていました。同じ練習をしている同級生や、先輩に負けたくない一心で。私は基本、負けず嫌いです。(笑)

そうやって練習をしていて、大学時代に私が発見したことがあります。

高校時代までの私は、余裕をもって練習を終えるということがありませんでした。いつも精一杯、出しきることが大切でした。

「余裕をもって」と書きましたが、ちょっと違った書き方をすると、「力みが抜けている」という状態がありませんでした。とにかく、力で押す走り、というんでしょうか。地面を蹴る、腕を振る、いわゆる根性です。

しかし、大学で速い選手の共通点は、キツい練習でも、最後にペースを上げる練習でも、身体が最後までリラックスできている。もちろん走力があるから、という一言で済んでしまうのですが、私はそこに疑問を持ちます。

なんであんなに柔らかく走れるんだろう?

1ランク上にいくためには何か足りないと感じていたので、自分の走りを変える戦いに臨みます。ポイント練習で、とにかく「フニャフニャ走る」(表現!!)という意識で走ります。結果、何となくですが感覚をつかみ、秋頃には真ん中のチームでの練習を許されることが多くなります。

そこからですかね。走ることに対して理屈っぽくなったのは。私はそもそも感性の人間なので、理屈を好みません(単細胞とも…)。

しかし、上記の力みのように、考えて辿り着ける答えを見つけて、実践して、そのピースがハマったときの達成感に、私はいい意味でも悪い意味でも大学時代は囚われることになります。

字数が多くなってきましたね。とりあえず、第一弾でした。第二弾は、また数日後に挙げてみたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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