月モカ_181022_0096

月曜モカ子の私的モチーフ vol.186「点滴」

ちょっと思うところあって今日の月モカを書いてみる。
実は東京に戻ってきてすぐ、
風邪→アレルギー由来の咳喘息になってしまった。
東京の空気は汚れているのだな。
まるひと月も滋賀にいて空気のきれいな中で暮らしていたから耐性がなくなってしまったのだろうか。
                          
他の場所にしばらくいるとわかる。
東京の空気は汚れている上に、いろんなものが混ざり合って舞っているから、
それを吸い込んでわたしはすぐに喘息になるのだ。
これは文明のもたらす災害であろう、わたしは喘息持ちではないのだから。(けれどそれは東京で生活している自分が生み出しているものでもあるので誰を責めるというものでもない)

とにかくそれで、急を要して都内のある病院に行った結果、入院時も大した数値じゃなかったCPRという体内の炎症値が跳ね上がっていて緊急で点滴をすることになった。入院時にしこたま点滴をして、わたしは多少「点滴」に対して知識があるのだが、まず、わたしの血管は細くて、慣れた看護師さんでも針を打ちにくい。
それから針の刺し方が微妙だと、針が血管を突き破ってその外にも少し漏れたりして、腕が腫れてくる。その場合は痛みがあるのですぐにわかる。

                          
わたしの点滴を担当する人は見た感じ70歳を超えているような人だったから最初から心配だった。
                          
その人が最初に針を刺した時からとても痛くて、さらにそれを最後に「グッ」と強く押し込んだので「あ、血管突き破ったな」という感じを受けていて、ずっと痛みがあったので、これはまずいと思い「とても痛い」と告げたのだが「でも点滴はちゃんと落ちています、問題ないです」と言う。困ったなあと思って、しかし激痛だったので「でも激痛だから、場所を変えてほしい」と強く主張して、点滴の場所を変えてもらった。
しかしそれもやっぱり最後に「グッ」と強く“強行的に”奥まで刺すので、(同じことになりそうだな)とは思っていた。でも黙っていた。
歳をとれば目も悪くなってしまうし、反射神経だって鈍くなってしまうし、こういった「今」「今」「今」の連続の医療の現場で働くのはとても大変だと思うのだ。

                          
そういった中で働かれているそういうことを思うと、だからこそ「ちゃんと点滴は落ちていますよ!」と反発するのだろうし、わたしの刺し方が悪いわけじゃない、という風に頑なになっていってしまうのだろうな、という気持ちもわかるからだ。
だって年月による“鈍り”を感じていない看護師さんは、少しでも「痛い」というと、それが誰のミスかということよりも、すっ飛んできてくれて、場所を変えたり、そこで何が起きているかを見極めようとしてくれる。
それを確認しもしないで「(点滴が)落ちているから大丈夫」とは言わないわけで、やっぱりきっとこの方はこの方なりに、精一杯踏ん張って「できること」をやられているのだろう。そしてその背景には大変なものがたくさんあるのだ。

そう思って鈍い痛みに耐えながら時間を過ごしていたのだが、しかししばらくすると腕がひどい虫刺されみたいに腫れてきてしまった。わたしは処置室をちょこっと覗いて別の看護師さんと目が合うのを待ち、そっと腕を見せてみた。その看護師さんは一目見て状況を察し「(腫れてるね)」と小声で言い、すぐ針をまた替えてくれた。
おかげでそこから先は痛みも無くなった。
最初に2度刺した高齢の看護師さんは、わたしが処置室にいる間、一度も振り返らず向こうを見て仕事をしていた。
                          
わたしはいろいろ考えさせられる気持ちになった。

                          
それは、誰もが高齢になっていく、しかし働き続けなければならぬこれからの日本の未来で、わたしたちはどのように働き方を改革していけば良いのだろうということだった。あの看護師さんだって「点滴すら」まともに刺せなくなったらきっと居場所がなくなるのだろうし、そして同時に一緒に働いている人たちは、現状を知りながら、こっそり目を光らせて、大変なことにならないよう、どこかでフォローしているはずなのである。

                          
「そんなのこわいね!」「そういう人には現場から退いて欲しいね」という角度だけの見方で終わってしまうことを望んでわたしはここにこのことを書いたのではなくって、わたしたちが生きて行く未来とはこういう状況がもっと蔓延する世界なのだということについて、思うところがあったのである。
絶対に今後「それ」は増えるのである。
                          
                          
高齢になってできないことも増えていく中「できなくなった」ことを申告せずに働き続けて何か起きてしまうリスクのある社会を回避し、
「できなくなった」でも「働く場所はある」という風に、
どうしたら役割などをシフトしていけるのか。
腫れ上がっていく右腕を眺めながらわたしはそんなことを考えていた。
                          
鈍い痛みは続いているし、
しかし確かに、
点滴は、ちゃんと落ちている。

                             (イラスト=Mihokinho)


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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。

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