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世界のみなさーん、謹賀新年✨2022 元旦✨/月モカvol.231の気分で。

このTOPの写真は「お屠蘇」です。西の人間ですがわたくし「お屠蘇(おとそ)を飲んだことがありませんでした。
飲んだことがないというか、知りませんでした。
中に入ってる鯛は箸置きで、たまたま箸置きが跳ねてお屠蘇の中に飛び込んだ絵が可愛くて思わずパチリ。

ところでこのお屠蘇、屠(ほふ)る、すなわち邪気を払い生気を蘇生させるという意味だけあって薬草の味が凄く特にアブサンのようなアニスの気配、よく知られてる味としてはイエーガーマイスター的な味がしてわたしは苦手。でも屠りたいので厄祓いのお薬だと思ってグッと飲みました。

ところで。

世界のみなさ〜ん、謹賀新年❣️✨

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ええと。実はね、新年のご挨拶を本当は元旦にできたのに、
月モカになぞらえて1月3日の月曜に、短いエッセイと一緒にupしようと思っていたら、毎度そうだからよせば良かったのに、帰省疲れでバタンキュー、3日はぼんやりほぼベッドで過ごしまして、投稿しそびれて現在にいたります。元旦にやっておけばよかったんだなあ。
そしてじゃあ4日にむくっと起きて作業にあたるかというとだいたい、どことなく半分寝込んでいるような体調で、こういうことをできるようになるのに数日かかるんでありました。
毎年同じなのになぜか色々年始からできる気がしてしまう。

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2021年の時短明けから年末まで週末来てくれてたシェフマンマが作ってくれた京雑煮。白味噌。うまかった!料亭の味。まだお屠蘇に飛び跳ねる前の鯛が箸置きという仕事中。笑。

さて新年は特にこれを話そう!という大きなトピックはないのだけど、どことなくここのところ考えていたことを書いてみる。
それは「幸福の中の不幸」「不幸の中の幸福」について。

こんなご時世を日々生きているので、きっとどこの誰もが山あり谷ありの日々を送っていることと思います。もちろんわたしもそうだしお店もそう。

そこで思ったわけ。ベーシックはどこにあるのかということを。

つまりは2019年からこっち3年と、なかなかに自分もハードな日々を送っているけど、よく考えたら2019年以前と比べたらすこぶる幸福なベースの上に不幸というか心痛する出来事などが、あるんだなあって。
起きている出来事の大変さは各々同じサイズ感、時に以前より大きいんだけど、物事の次元は上がっている。1つ1つの案件が大きいとそれらを大変酷く感じるけど、その出来事すらも、実は上昇気流の中の乱気流で、
幸福に包括されるんだろうなあって。

ベーシック不幸な時も幸せなことはある。
だけど自分は2016年くらいから2019年にかけて自分が、自分の人生が、
緩やかに落下していることはわかっていた。
まず小説を書いていないし(書く気にならないし)、主にやっていることがザギンのホステスみたいなことで日常生活にクリエイティブがない。とにかく高いお金を払って飲んでいる人に本音を言わずに「すごいですね」しか言えない、言ってはいけない日々に辟易しながらも、それが自分の仕事なのであった。

銀座のママのパワハラは日々悪化。しかも本人がそれらを大真面目に”歪んだ”わたしの心根を直すための教育だと信じて疑わないねじれ。
そしてその”歪んだ”わたしの人間性こそがママの”歪んだ”色眼鏡から生まれる架空のわたしであるホラー。

不毛な恋愛をしていて不毛な恋愛のための酒代に稼いだお金が消えていく。

金がない。とにかく金がない。なのに数ヶ月に1度は発熱して数日店を休み、病院に通ってまたお金がなくなる。

けれどそんな中にも幸福はあって、親友のちほと「Utatane」をやっていたり、不毛な話だけど、好きな人と一緒に過ごせた、とか、自身の気分を一時的に上げてくれる出来事はある。ある一晩はそんな銀座のママともすごく分かり合えた!とか。でもベーシカリィ〜落下している。

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じゃあ2019年からこっちはどうかというと、出来事や案件で言ったら心痛するような事件の連続で、一見それ以前の日々より波乱に満ちた日々だったと思うんだけど、でも、わたしは2019年の6日1日、つまり店を始めた日から、ベーシカリィ、ずっと上昇している。

書いても書いても小説はボツになったが、そのおかげで実のところ「宵巴里」「わたしと音楽、恋と世界」と、2作の小説ができたのである。

緊急事態を生かして2作をこのスピードで書けたことは何より幸運なことであるし、今後店を頑張って行かねばならないわたしにとって2作ストックがあることはなんとも心強いことである。なにせ10年も単行本を出さずに小説家を名乗ってきたのであるから、2年で2作書いたならこれエライ、という話(笑)。というのは冗談としても、たくさん本を出していた時は書き終えて本になったら終わりというか連続して書き続けていたので「その本だけを一生懸命宣伝し続ける」時間がなかった。だけど今はそれがある。
2022年はひたすらに「宵巴里🌙」をいろんな人に知ってもらうための活動をする年にすればいい。そして合間合間に「わたしと音楽...」を少しづつ改稿すればいい。なんてサステナブル!笑

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そうなんですつまり。去年1年に起こったことを「賞に落選して自家出版でしか本が出せない憂き目にあった」とまとめたら、なんだかとても残念な1年に感じるかもしれないんだけど、いやちょっと待てよ、もしかしたら自家出版の方が今後も色々と好きな仕様で本が作れるんだったりしてとか思い始めたら「船パリ」なんかは絶対「モカティーナ書房」で出した方がいいんである(何しろ大手からは断られそうな内緒の仕掛けをいっぱいするんだわ)
そのために「宵巴里🌙」は頑張って売らないといけないが、売らないといけない本があるだけ幸せ、
つまりわたしのベーシックは上昇し続けてるんである。

だから今、時々、化粧水やアイライナーを、なくなってすぐ、パッと買えるとき、幸せを感じる。店に必要なものを数千円くらいのものなら金額気にせずさっと経費で買える時、ここまでこれた、と思う。
一番感動したのは今年、店の2階に本物の網戸をつけた時だね。
2箇所つけて全部で3万くらいだったけど、経営を圧迫することなく、払えた。嬉しい。

それでこう思った。ベーシックを見つめていくことが大事じゃないか。

おかしな恋愛をして貢いでいるとした場合、相手が百円のお菓子を買ってくれてもそれがすごい幸せなことのように思う。ひどい言葉で罵倒され続けているとある日突然「ありがとうないつも」と言われたらすっごい大事にされてるのかも!と思っちゃう。でもそれは不幸の中の幸せ。笑。

まあそういうことを考えて、日々の上がり下がりよりも、
自身の根幹の帆先が、どこに向かっているのかを、見つめていきたいなあって、思ったんだよね。
なぜなら今年もきっとハードだからさ。

どこを見つめて「状況が良くなった」と理解するのか、難しいから。
わたしはわたしのベーシックを見つめていこうと思う。

そんなわけで、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2022年 元旦(もう元旦じゃないけど) 
中島桃果子より愛を込めて。

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長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!