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月モカ!!vol.282「とある土曜の夕方、上島珈琲で」(前篇)

「ダスターはありますか!?」
 と、隣から大きな声が聞こえたような気がしていたが声を発したのは自分だった。土曜の夕方で店内は混雑しており店員さんはオーダーを捌くのに忙しくカウンターの中からダスターの場所を口頭で伝えるのが精一杯だった。わたしはバッシングのところに置いてあるグリーンのダスターを手にとりテラスに出て、小さなガラガラを片手に握りしめたまま立ち尽くしているおばあちゃんのところに駆け寄った。おぼつかないもう一つの片手の上に乗せられた黒いそのトレー、その上で溢れたクリームソーダーのビリジアングリーンが、倒れたグラスでぐしゃっとなったレモンケーキらしきものを飲み込んで甘い湖はおばあちゃんのおぼつかない手が震えるたびにゆらゆらと揺れた。液体を失ったガラスのコップの中にバニラアイスに濡れた氷山のような氷とチェリーの熟れた赤。晴れた5月の午後の夕暮れにおばあちゃんはクリームソーダとケーキを頼んだ。美しい風が抜ける森の角のテラスで、それをゆっくりそれを食べたかったんだ。

膨らんだ彼女のときめきは、テラスにいる大人全員の無関心によって粉々にされ、自動ドアのガラス越しに店内からそれを見ていたわたしにはその無関心の1秒2秒が死にたいほどの永遠に感じた。わたしはまずグラスとケーキをトレーから浮かせてそれを左手にまとめて持った。二十年以上飲食店で働いているわたしにはこんなのわけない。そして空いた右手を差し出して(大丈夫だからトレー渡して)と目で訴えてそれを受け取り、ガラス扉の自動扉を超えてレジに持っていった。


「こぼしちゃたみたいなんです」
 わたしが言うと一番忙しそうにしている店員さんがぐちゃぐちゃに潰れたケーキと半分損失したクリームソーダのグラスを受け取り、わたしの後ろからヒョコッと追いかけて所在なさげにしているおばあちゃんに向かって直接「大丈夫ですよ、今ケーキも、ジュースも新しいものお持ちしますね」と声をかけた。
 よかった。この人、やさしい人だ。この空間にひとり、やさしい人がいて、それが店員さんならば、ともかくこれ以上このおばあちゃんが傷つくことはない。その時一生懸命、小さく何度も頭を下げたおばあちゃんが、おそらく耳が聞こえない人で、慌ただしい店内で求められているお客としての同線やふるまいを理解するのが困難であったことにまでは、わたしはその時まだ気がついていなかった……

<月モカvol.282「とある土曜の夕方、上島珈琲で」>
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


また続きはなんらかのやり方でupします。
なお、この部分を朗読した映像はこちら。

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