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「うずうず」の虜になること

放置しては書いて、また放置しては書いて、ふらっと資格を取って、などしていたら夏が目の前までやってきている。

時間の作り方が分かってきた。とはいえ、これが完全なる一人暮らしであれば時間の捻出にはそれなりの代償も伴うんだろうと考えると何がベストなのかはまだ理解できていない事の方が多い。

時間的な余白が「怖い」と気づいてから、取り組めそうな資格と向き合って、何とか合格に漕ぎつけた。

ふらと寄った本屋で何となく立ち読みした本を連れて帰ったときの高揚感を思い出してきた。何の事前情報もなく、ほぼ勘で入った店の先で「こいつを連れて帰ろう」と思える本に出会えるのは至福の中のひとつで、カバンの中へ大切にしまっても本は期待の質量を保ち続けている。

自宅に戻り、読書に適した環境を整える。

暗すぎず明るすぎない部屋の明度を保ち、買ったばかりの本を片手に、できるだけ体に負担をかけない体制を探す。スタートダッシュが滑らかであれば、あとは流されるまま本の世界に入り込める。

ちなみに、なるべくお手洗いに立つ回数を減らせるよう、コーヒーやお茶ではなく常温の水を置く。氷を入れたり白湯にしたり、水に何らかの強制力を与えてしまうと、のちのち温度によって変わり果てた水の状態に気がそがれる。携帯電話は音楽をかけるなり電源を切るなり好き好きでいいと思うが、SNSの引力に負けない自信があるのなら近くに置いておくのも悪くない。

ここまで来れば準備万端も同然だ。できればひとりになれる環境を選ぶのが無難だが、これも個人の好みが関わってくるので限定しない。カフェでお茶や軽食と一緒に楽しむのもいい。電車を乗り継いで広い公園や河原に行っても良い。自分の「ポイント」はあるに越したことはない。

余談になるが、最近唐突に「推し」が出来た。生身の人間ではないが、睡眠に大きく良い影響を及ぼしているのだから間違いなく「推し」と言って問題ないと思う。

「推し」かどうかの基準は睡眠である。よく眠れるようになれば「良き存在」=「推し」であり、逆に眠れなくなったり不安になったり、体が重くなるような眠りとなれば「良くない存在」と判断できる。

この判断基準が果たして正しく「推し」を判別して良いものなのかは疑問点も残るところではあるが、ひとまずのボーダーラインとして設けておきたい。じゃないと、あれもこれも推しになってしまうか、無味乾燥な時間の流れに突き落とされるかの極端な二択になってしまう。

ここまで長々と書き連ねてきたが、推しが出来た途端に、推しが燃える話を読んでしまったのだから世話ない。

まあ、人生はきっとこんな風に流れていくんだろうと思う。それでいい。というより、これに付き合っていくのが最もストレスなく漂っていけるのだと思う。

本を開く。自分に対して「お預け」をあえて食らわせている。立ち読みののちに「連れて帰ろう」と心するまで、心を射抜く名文がいくつもあったのだ。早食いしてはもったいない。ゆっくり、じわじわと自分を嬲っていくことに快感すら覚え始めている。

世界じゃそれを「変態」と呼ぶんだぜ、と同郷出身のアーティストが駅のホームでギターをかき鳴らし始めた。

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