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あなたにはあなたにしかないよさがあり 傘をくるくる回すところも(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記6/17〜23)

好きな歌集から短歌を一首紹介しつつ、毎日の日記を書いています。
週のタイトルは自分で詠んだ短歌になります。

6月17日

気がつけば悪役だった二人して腹を抱える土砂降りの中

『水上バス浅草行き』岡本真帆

『アンチヒーロー』最終回を再視聴。
悪役が映える男はかっこいい。が、悪役と言いつつ、長谷川博己演じる明墨正樹の悪は信念の強さが一部だけ歪に隆起しているもので、根源には倫理観がある。最終回は特に今の世の中に向けたメッセージを明確に口にしている。

その同じ言葉を娘さんにも言えますか。ふとした瞬間、意図せず足を踏み外すことは誰にでもあります。そのとき彼女が踏みつけられたとしても、父親としてそう言うんですか。しかたのないことだ、それが世の中だと。
たしかにあなたのおっしゃるとおり、この世の中はちっとも公平なんかじゃない。なんの落ち度もなく、命を奪われる者がいる。何年何十年と悪事を重ねても隠し通し富と権力を欲しいままにするものもいる。
こんな不平等な世の中で誰もが気付かないうちに自分の物差しで人を裁き、罰を与える。ときには二度と立ち直ることのできないほどの罰を。ほんとうにおそろしいことですが、これが現実です。
だって人は人を裁くことが快感ですからね。

聖人の言葉はなかなか人口に膾炙しない。メッセージは内容そのものより誰がその言葉を発するかの方が重要だったりする。仮に、きれいごとがひたすら嫌いな人にも明墨の言葉が届くとしたら、『アンチヒーロー』はひとつの希望の形になりうる。続編をつい期待したくなるドラマだと思う。

そして、その未定の続編については、ネット上ではちょくちょく、真犯人が明らかになるのでは、みたいな憶測が飛び交っている。未だに有能な警察像を信じて疑わない人たちだろうか。そもそも、刑事ドラマやミステリーでもないわけで、真犯人を明らかにしなければならない理由もない。10数年も前に起こった事件について、なぜ真犯人は明らかになるものと思えるのか。
歴代のドラマがつくった悪しき文化だと思う。

外は土砂降り。この強さの雨音を聞くのは久しぶりだ。

18日

息吸うて死ぬまで生きろ息吐いて死んだら死ねよ見苦しくすな

『くるぶし』町田康

すがすがしくて、いい短歌。

これくらいの強さを持っていたいと常々思っているが、その矢はやがて自分に跳ね返ってくる。 御年62歳の町田康がそれを口にすると、また言葉の重みが変わってくる。が、口にするのと、短歌にするのとでも、その意味合いはまた変わる。そして、何事も短歌にするくらいが態度としてちょうどいいような気がする。

職場近くの食堂が急につぶれた。
つぶれたって言うか、改装だろうか?あるいは、移転か。
よくわからんが、急だったのでショックだ。そこそこ繁盛店のように見えていたので、さすがにつぶれたってことはないと思いたい。
が、そもそも客数に関係なく、物価高騰で今までと同じ値段じゃやっていけない、みたいな事情もあるかもしれない。

仕事終わりのジムはかなり混んでいた。
いっぱい食って、いっぱい鍛えて、強くなろう……小学生かよ。

19日

蓋とれば相談にのりますという顔をしている春のぬか床

『たんぽるぽる』雪舟えま

ぬか漬けのぬかはけっこう臭い。母親が手入れしているところを何度か目にしたことがあるが、とても相談できそうな臭いではなかった。が、ググってみると、手入れ次第ではにおいは抑えられるようだ。あのぬか床は手入れ不足だったのだろうか。 おそらく、ぼくが仕事の悩みを吐露したところで、臭いで追い返されることだろう。

『響け!ユーフォニアム』第11話は主人公の久美子の悩みが2つ揃って解消される兆しが見える。 1つは「ソリ」の役目を譲ると言う黒江真由と、あるいは「ソリ」を吹きたい自分とどう向き合うか、という悩み。もうひとつは自分の進路をどうするのか、音大に行くか。 前者の悩みに明かりを灯すのは同じユーフォニアムを弾く後輩の久石奏。後者の悩みに答えをくれるのは、音大に進学した先輩の鎧塚みぞれ。そして、その2人によるそれぞれの言葉は彼女らの資質によるところではなく、久美子が丁寧に人間関係を築いてきたことの結果である。内部崩壊の危機を突破し、やっと自分の悩みに向き合った主人公。クライマックスに向けて、すべてが整った。残すは、最後の部内オーディションと大団円のみ。

ちなみに、小説もはやく全部読みたいと思ってたけど、短編集やスピンオフを含めるとシリーズがものすごく多い。多いということは、アニメが最終回を迎えても、ぼくは沼にハマったままでいられるということ。相談する相手やぬか床がいなくても、しばらくは安心だ。

20日

ものわかりのいい木になんてならないでどんな雨にも目を開いてて

『カミーユ』大森静佳

雨の日は雨の短歌。

木と雨の対比がすてきな短歌だと思う。大きな木のような人と言われると、いい人が思い浮かべられるはずだ。この一首もおそらく身近な人を思っての短歌だろう。
どんなことも受け入れてしまうような泰然自若な人だから、その人に降る雨の一粒一粒が恵みの雨なのか、その人の体温を下げてしまう雨なのか、しっかり見極めて欲しい。

明日の朝はユーロ2024のグループステージで最も注目が集まる一戦、スペイン対イタリア。さすがにこれは見たい。早く寝よう。

21日

カーストの中の上らのぞろぞろが渡り廊下で中の下殴る

『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』木下龍也、岡野大嗣

夜中に兄が暴れ回っていてあまり眠れなかったので、明け方のスペイン対イタリアはほとんで寝ぼけていて、夢うつつの状態だった。兄は発達障害の二次障害が発症していて、ふだんは特に働いていないニート。かれこれ8年くらいになるが、こういう時は自分が入ると余計に事態が拗れて、手がつけられない。

ここ最近ではかなり荒れ狂っている方だったので、頭を抱えた。朝起きると、リビングの椅子がひっくり返ったり、ふすまが外れたりしていて、しばらくは顔を合わせないようにした方がよさそうだ。

今週もよくぞよくぞ、よくぞ、金曜日まで辿り着きました。

よく見ているYouTubeチャンネルWAIPERの街録CH風の店長インタビューがよかった。

22日

はるちゃんの面接官がはるちゃんの良さをわかってくれますように

『アボカドの種』俵万智

アンメット第10話を視聴する。

脳には、内側前頭前野という場所があって、人間はそこで自己と他者を区別する。ただ、大切な人や恋人に関しては区別しなくなる、つまりその人のことを自分のように感じてしまう、という件りがよかった。

感情の話は、ときに論理が重なることでよりロマンティックになることがある。一般的には、説明するなんで野暮ということの方が多いだろうけど。

昼は、蔦屋に併設されたスタバで雑誌を数冊ぺらぺら流し読みしてから、ジムに向かった。最近はカフェが併設されたTSUTAYA(or蔦屋)が近隣に減ったし、自分の休日もカレンダー通りになったから、カフェで雑誌をまとめて読む時間がなくなった。いい加減、この習慣も控えようかしら。

土曜日の昼のカフェも混んでいたが、夕方のジムもまた混んでいた。
ジムに行く時間、もっと考えるべきだった。

23日

部屋にいる以外をしない雨の日の炎のようなあなたの寝癖

『あなたのための短歌』木下龍也

まさに短歌の通り。それ以上でもそれ以下でもない休日だった。
ひとつだけ違うとすれば、ぼくの髪は炎というよりはブロッコリー。



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