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月面のブランコ、揺れてんだよ

何者かになりたくて生きていると、自己肯定感との不毛な戦いを繰り返すことになる。

私以外の私になりたくない。自分は自分でありたい。「ありたい」という欲求を持っている限り、自分がどこまでも普通で、なにもしなければそれだけつまらない人間だということを、人生を通して知っている。
普通の自分を殺したくて、そもそも人と競わないフィールドに立つことが多かった。そうすれば、私は私だけでいられるから。

しかし、人生そうもいかず、他者と関わって生きている限り、他者との並びで自分を見てしまうことが往々にしてある。そんなこと望んでいないと叫んでみても、勝手に喚いているのは私の自意識ひとりきりだったりする。

憧れる「何者か」と、承認欲求自体を下らないと思っている自分との狭間で、揺れては考え、前を向いては下を向き、走っては立ち止まり、また歩き出し、の繰り返しである。実に不毛、結局、まだまだ若い。

もうそんな不毛な繰り返し、とっくに卒業したよ。
って、思い込んでいたけれど、いざ「普通に満足な人生」みたいなものを目指そうとすると、すぐに飽きてしまう。だから、自らを傷つけながら、それでも面白さを求めて、こういう職業をして、こういう人生を自ら選択している。

そんなことを言語化できるようになったのも、20代後半。きっと私は、まだまだ揺れながら、いつか大人になりたくて、こういった性分を前向きに諦めながら、歳をとっていくのだろう。

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銀杏BOYZをちゃんと聴き始めたのは、実は、2年前からで、めちゃくちゃにわかである。
というか、それまで、聴こうと思ってもあんまり響かなかった。ふーんってかんじだった。
それが、「自分は結局ここまで拗らせてて、未だに何者にもなれていなくて、それでも何者かになりたいんだ」って、諦めて認めてみたら、めちゃくちゃ響いた。諦めるも何も、全部剥き出しで、生傷だらけで、生きているだけで水も風も沁みまくりながら叫んでいるのが、最高にカッコよかった。

あまりにも名曲なので、散々語り尽くされているだろうし、青春を共に過ごしている人がたくさんいるから、本当に今更だと思うのだが、めちゃくちゃ聴いていた当時の私が、この曲を聴いて思ったこと。

月面のブランコは揺れる

実際のところ分からない、違った解釈もたくさんあると思う。
でも、私はこれは、
ああ、自意識の狭間で揺れてんだなって、思った。
めちゃくちゃ綺麗な月の上で、幻みたいに澄み渡っていて、そこで、揺れてんだなって、思った。

ただ、
あまりにも名曲だし、リリースは2000年(そもそも銀杏じゃない)、みんな普通に若かったから、今聴くこの曲は、今大人になっている人たちの、あの日の幻みたいなもんだろうなって思っていた。
それに、私がちゃんとこの曲を聴いた2018年、峯田は地上波のテレビにしょっちゅう出ていて、石原さとみとドラマでキスしてた。
あの峯田が!って私の周りの往年のファンは笑っていたけれど、私は一緒に歩いてきていないから、そういう人じゃないって分かってはいても、「今はもう大人になった人の、若かった頃の歌」って思ってしまった。

2017年リリース。本当に、今更にわかが言うことじゃない。でも、私が思ったこと。

BABY BABYを飽きるほど聴いたあと、この曲も飽きるほど聴いた。

しっかり歌詞に耳を傾けるには、ながら聴きとか、電車の中とかだと、私は足りなくって、何回も聴いたあと、家のベランダでひとりで爆音で聴いて、やっと気付いた。

月面のブランコは揺れる、今も

うわ、

なんだ、まだ揺れてんじゃん

なんだよ、まだ揺れてんじゃん
って、ひとりで、声出して笑ってしまった。そんで、ちょっと泣いた。
なんだ、いいんだ、揺れてて。かっこいい大人ってなんだか分からないけれど、きっとそうやって揺れながら真っ直ぐにブレないで一生懸命生きている人を、私は、愛すべき人間だと思うのだ。

だったら、いいや。
私も、がんばって生きよう。
「揺れながら真っ直ぐにブレない」って、どれだけの人に伝わるのか、分からないけれど。

最初から何者かになれるだけの才能も特別な何かもない私が、
別の誰かになりたいではなく、
何者かになることを諦めるレールでもなく、
そのままの私のまま、何者かになりたいのだと、認めて歩き出したら、
やっと、何者かになるための、スタート地点に立てた気がした。
そうしたら、ちょっとだけ、何者かに近づいた、気がした。

みんな、揺れながら、がんばって生きてる。
それでいいし、俺は今でもそうだって、歌ってくれている人がいるだけで、救われることも、ある。

だから、私は、こうやって、拙いながら文章にしている。私もここで揺れてんだよって、叫んでみたりする。

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