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「コレラ後」に書かれた『かもめ』

1891年に発生した大飢饉に見舞われ37.5万人が命を失っただけでなく、続く1892年にはコレラが流行し、22万人が命を失った。OECDの資料(を引用したサイト)を見ると、当時の人口は6000万人ほどだったので、この2年間に100人に1人が死んだ。この中の犠牲者には、例えばコレラで死んだチャイコフスキーがいる。

ロシアの話だ。

小説家・劇作家だけでなく、医師としても働いていたチェーホフは、92年、メホリヴォという街に移った。ここで、チェーホフは、26あまりの村を東奔西走し、コレラの治療にあたっていた。


医者といっても、一般的な開業医のようなものではない。当時、チェーホフは、ゼムストヴォという地方自治組織の医師であり、今で言う保健局に勤める医者のようなイメージだろうか。往診し、コレラ患者の治療を行うとともに、水を媒介にして感染するコレラ菌に農民たちが感染しないように、公衆衛生の啓発も行っていた。また、隔離病棟の建設も行ったという。チェーホフを含む医師たちの活躍によって、近隣でのコレラの発生は、16名の患者と4人の死者にとどまった。


コレラの渦中に出されたチェーホフの手紙には


「私は隔離病棟などを建てています。私は孤独です。というのも、とにかくコレラに関することすべてが疎ましいのです。不断に回診し、対話し、こせこせとせわしなく働くことを求められる仕事には、辟易させられます。執筆の時間もありません」

と不満を漏らす様子が記述されている。しかし、その一方で、コレラが終わると、


「秋まで私を捕えて離さなかったコレラ騒ぎと金詰りにもかかわらず、私は生きがいを見出しました。私たちはどのくらい樹木を植えたことか!私たちの文化伝播のおかげで、メリホヴォは見違えるようになり、 今では非常に居心地よく、美しく見えます」

と書いている(以上、参照は『ゼムストヴォ医師としてのアントン・チェーホフ』左近幸村 http://www.let.osaka-u.ac.jp/…/vol_1/pdf/vol_1_article05.pdf

上記をはじめ、いくつかの文献を開くと、飢饉やコレラを通じて、「チェーホフと社会」という姿を見ようとする向きが強い。もちろん、給金を断って医師として働く姿や、その後の学校建設、あるいは飢饉の前年に行われたサハリン島調査など、チェーホフが社会正義のようなものに対して何かしらの視座を獲得したことは、おそらく正しい。飢饉で死ぬ人々も、コレラで死ぬ人々も、多くは貧困層であったことも、彼に大きな影響を与えた要因だろう。しかし、それ以上に大きな変化があったのではないか。つまり、チェーホフはなぜ、コレラ後に『かもめ』を書いたのか、ということだ。


95年に執筆された「かもめ」は、田舎の湖畔にある屋敷での出来事を描いた戯曲だ。そこには、作家志望の青年と女優志望の少女の成長と成熟が描かれ、あらゆる登場人物たちの恋模様がその世界を彩っている。一方で、その世界は、どこか憂鬱や退屈に満ちてもいる。物語の終盤に、モスクワから帰ってきた少女は「忍耐」という言葉を見つけてこの場所を去る一方、それを見つけられなかった青年は、ピストル自殺を遂げる。


この作品に疫病やそれを示唆するような言葉はどこにも書かれていない。しかし、この世界のどこかに感染症の姿が描かれていないか(まさにそれは目に見えない、それとは知れない形で)と考えている。

例えばこういうことかもしれない。

ここに描かれるのは、ある「どうしようもなさ」だ。どうしようもなく退屈な生活がある一方、どうしようもなく恋心が湧いてしまう(感情は生む物ではなく生まれてしまうものだ)。意志されたモスクワ行きという少女の行動は、忍耐という「どうしようもなさ」の肯定に帰結するのではないか。別の言葉で言えば「運命」なのかも知れないけれども、それを運命と名指すには、登場人物たちの姿はあまりにも小さい。

もちろん、コロナウィルスに直面した現在の我々は、外出しない、手洗いをする、マスクをする……と、様々なことができる。でも、ここに生まれる「不安」はどうしようもできない。将来に対する、ではなく、自分や周囲の生存に対する、だ。不安に対処するため、例えば公的な機関の情報にあたって努めて冷静に対処しようとするのだけれども、不安(もしくは禍々しさとも言える)は根本的に消えることはない。僕を含む多くの人にとって、ウィルスは実態ではなくイメージでしかない。

僕は、少女が選び取った忍耐という言葉は、とても美しいものだと思う。ドサ回りの女優として、湖畔の屋敷から歩み始める少女の姿は、不安を抱えざるを得ない状態で生きる我々にとって切実に必要なものではないかと思う。

もっとこの作品について考えなきゃいけないし、もっと今自分が感じていることについて知覚する必要があるが、そもそもなんでこんなことを考えているのかというと、我々は、この作品を9月に上演する予定なのだ。「コロナ後の世界」に「コレラ後の世界」で描かれた「かもめ」を上演する。ただし、それまでに収束していれば。

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