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コンプレックス強めのニット作家 その1

あけましておめでとうございます。
新年早々こんな話題でなんですが
このnoteは私の還暦イヤーメモリーでもあるのでまずは昔ばなしを。

誰にでもコンプレックスはあるよね。
容姿、頭脳、運動神経…
私は小さい頃あらゆるコンプレックスのかたまりでした。

大工の父と編み物が得意な母、弟3人の6人家族で物心ついたときからトイレが外にある6畳4.5畳二間の連棟長屋住まい。なのになぜか6畳を占拠するほど大きなステレオがあったり、当時まだ珍しかったエレクトーンを習わせてくれたり、母がシーズンごとに新しい毛糸でセーターやワンピースを編んで身綺麗にしてくれたので羽振りのよい時もあったのだろう。
貧乏には見えなかったと思うが、決して裕福でもなく子供心に持ち家一軒家に住み自分の部屋を持つ友達がうらやましかった。

母は偏食がひどく料理のレパートリーも少なかったので家で出ないものが全く食べられない。
ほとんどの野菜と生ものがダメ。
当然給食も食べられず、みんなが掃除を終えて下校時間が過ぎてもひと口でも食べないと家に帰してもらえない。
毎日の給食は地獄の時間だった。
大人になって家族以外の人と外食するようになり少しずつ喰わず嫌いを克服した。
夫が食いしん坊なおかげで、もはや好き嫌いはほとんどない。
世の中はなんと美味しいもので満ち溢れているのか!
めっちゃ損してたやん子供時代の私。

偏食だからガリガリのひょろひょろ、しかも極度の引っ込み思案。
教室にいるかいないかわからないくらい存在感が薄い。
もの覚えも要領も悪くて
ひと通りのことができるようになるまで人の倍くらい時間がかかってしまう
いわゆるどんくさい子。
勉強もたいしてできなかったし目立ちたくないので絶対に挙手なんかしなかったけど、授業中ごくたまーに先生に当てられると緊張して蚊の鳴くような声しか出ない。
同級生からの悪意ない「聞こえませーん」コールで余計声が出なくて泣きそう、いや泣いてた。

運動神経ゼロで体育の時間も地獄。
跳び箱とべない、逆上がりできない、
泳げない、走るのも遅いし
ドッジボールは背中を見せながら逃げるもんやから一番先に殺られる。
球技大会なんて足手まといでしかなかった。
今は毎週1キロプールで泳げるようになったよ。信じられるか子供時代の私。

今の私しか知らない人はにわかに信じられないだろうが、こんな感じで小学校低学年時代、私は充分過ぎるほどわかりやすくいじめられっ子の要素を持ち合わせていた。
優しくしてくれるクラスメイトや先生はもちろんいたし、陰湿ないじめはなかったけど、ちょっと意地悪されることはあり明らかにクラスで孤立していた。
学校に行けない時期もちょっとあった。
いまでいうところの「自己肯定感」なんてゼロでコンプレックスのかたまり。
だめだめな自分が本当に嫌だった。
近所の幼馴染や数少ない友達と親の愛でなんとか生きてたと思う。

あほはあほなりに生きるための知恵を身につけていくものだ。
自分なりのライフハックで徐々にいじめを回避できるようになっていく。
小さな成功体験を積み重ねた結果
モブキャラから人並みに明るい中学時代を送ることができて
完全ではないけど「どうせ私なんて」というコンプレックスは徐々になくなっていった。
高校では初めてボーイフレンドもできてそれなりに青春時代も謳歌した。
高校卒業後デパートに就職して、
いろんなアルバイトを経験して30歳で結婚後、ニット作家になる。

作家以前の仕事やアルバイトで得た知識や経験でいまに役立つことがたくさんあるのでそれはまたおいおい書くとして
ニット作家になって私は久しぶりに大きなコンプレックスの壁にぶち当たることになる。

私は編み物をちゃんと習ったことがない。
母は編み物の師範資格を持っていたが教室などは開かずずっと趣味で編み物をしていた。だけど母にちゃんと教わったことがない。 

一度だけクラスメイトが家に遊びに来て、母の手ほどきを受けたことがある。
私がかばんにつけていた母作の細編みの小さな麦わら帽子のマスコットが可愛いから作り方を教わりたいと言ってくれたのだ。
その子はクラスのリーダー的な存在で頭が良くスポーツ万能、性格も良くて私みたいなモブにも優しく接してくれるみんなの憧れの存在。
もちろん私のテンションは爆上がりだ。
母も珍しく私がクラスメイトを家に連れてきたものだから彼女に優しく丁寧に作り方を教えた。
器用な彼女はすぐにコツを飲み込み細編みでどんどん小さな帽子を編み進めていく。母はそれをうわあ上手やねー!と誉め讃える。
とても楽しそうだ。

もちろん私も同時に教わったけど要領が悪くて輪の作り目からの細編みがなかなかできない。
編む速度もめっちゃ遅い。
母は私を誉めてくれるどころか
あんたは不器用やな〜とけなされる。
全然楽しくない。

今ならわかる。
私が珍しく家に連れてきたクラスメイトに母が最大級のおもてなしをしてくれたのだ。
だけど当時の私は凹みに凹んで、二度と母に編み物は習うまいと深く心に刻んでしまった。
プロになってから仕事を手伝ってもらうことはあったけど母が亡くなってしまったいま、編み物がとても上手だった母の手ほどきでちゃんと教わらなかったことはいまでも人生最大の後悔のひとつ。

友達がほとんどいないから学校から帰ると家でひとり遊びすることが多かった。
母にバレないよう留守中にかぎ針と余り毛糸をこっそり引っ張り出し、編み物本や婦人雑誌の付録の基礎本を見てかぎ針編みをするようになった。   
最初は鎖編みや細編みしか出来なかったけど毛糸が平面から立体に変わっていくのが面白過ぎる。
なんかかわいいものができていく。
時間はいくらでもあったから思いつくまま手を動かしてかぎ針編みにのめり込んた。   
ここから私の生活にかぎ針編みが加わっていくことになる。

私にとっては遊びのひとつでしかなかった編み物がやがて偶然とラッキーの連鎖から流されるままニット作家としての仕事になっていくのですが、同時に自分のコンプレックスとの果てしなき闘いの幕開けとなるのです。

その2へつづく。





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