記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

こっ、これが大人のキス…(シンエヴァ雑感・備忘)

三月が最後の意地を見せた冷たい雨の日、私は妹と劇場版シン・エヴァンゲリオンを観にTOHOシネマズ日本橋へ足を運んだ。

3日前にチケットを取ったときからずっと体調が変だった。仕事しててもご飯食べても呪術廻戦観ても、ずっと頭頂部あたりに春の大きな雲がわだかまっているようなそわそわする感じ。しっかり閉めているはずの意識の抽斗から何かがずっとはみ出ていて、しかも風かなにかでそよ…と揺れたりするから、どうしてもちらちらそっちに目をやってしまうような、気付けば「3時間 映画館 トイレ 我慢」で検索かけているような、そんな典型的なうわの空だった。
ものごころついた時からアニメ漫画小説の摂取にハードルを感じないタイプだったので一筋にこればかり愛していた訳じゃないけど、自分が中学生の頃に出会ったずいぶん昔のとんでもねぇ謎アニメが、とんでもねぇ映画になって、とんでもねぇ月日を経て今、終劇する。うおお…この事実だけで相当食らうぜ。勿論胸には大きな期待があるんだけど、どうしても見終えたあとの喪失感を今から予見して落ち込んでしまう。ハリーポッターが完結した時とマジで似てる。あんな猛スピードの壮大な物語からいきなり放り出されるんだから、打ちどころ悪かったら最悪死ぬで。

三越前駅からエスカレーターで上階へ吸い上げられていくにつれ、私と妹のボルテージも上がっていく。「ラストのセリフ何来るか賭けようよ」「いいよ。私は『さよなら』」「うわっ、ありそう」「もう『おめでとう』はねーよな」マスクの下でも映画館特有の甘いキャラメルの匂いを嗅ぎ取れる。日本橋というアニメ映画の鑑賞には選ばれにくい立地(若い層が友人と連れだって行くならだいたい新宿か渋谷だよね)かつ、平日の14時ということもあって、薄暗いロビーに人はまばらだ。
当然社会人5年目の私が学生である妹の分までチケット代を払い、飲み物代を払い、ポップコーン代を払い、パンフ代を払う。以前、「千原ジュニアは後輩の映画チケット代は絶対払わない」といううわさを聞いた。曰く「チケット代を出すと素直な感想が言えなくなる。先輩の金で観た映画に『つまんなかった』なんて言えないから」というわけで、まー確かになと思うけど、そもそも奢られた映画の感想の内容まで先輩に気を遣おうと考えられるタイプの人間には『後輩力』が足りないのではないか。"モノホン"は金払ってもらってることなんてきれいに忘れて全力でコンテンツを楽しみ、また全力で文句を言い、そしてそれらすべてを至極自然な事象として相手に受け入れさせる力がある。そう、この春に大学卒業を控え、進路はフリーターが確定している俺のかわいい妹のように。

開場済みだったので、同列で既に着席している人の膝にすいませんすいませんと挨拶しながら座席に座る。中段ど真ん中の最高の席。映画館のイスって座ってすぐはえっ…一生座ってられるわ…って思えるので大好きだ。何度か思わせぶりな暗転と他の映画の予告編が繰り返され、ああもう早く始まってくれ!と急く気持ちと、くそ、始まってしまう、始まったら終わってしまう、と早くも空虚モードになりかける己を制しながら、ポップコーンを口に運んだ。妹がバターかかってるところを重点的に食べるのでちょっと怒った。


↓以降1回目を見終えた自分への備忘。見る人いないと思うけどネタバレ注意

私はとにかくアスカが好きだ。容姿端麗頭脳明晰身体能力センス文句なし、努力に裏打ちされた秀才にだけ許されるその尊大な態度と、彼女のバックグラウンドに横たわる途方もない孤独の暗渠。アスカが登場後よく口にしていた「そんなの自分一人でできる!」というのは強がりでもなんでもなく、本心そのものであり、しみついた習慣だった。母親を失ってから、身寄りのない彼女はとにかく自分が優秀で、希少で、愛されるに値すべき存在であるということを分かりやすい尺度―例えば「エヴァのパイロットに選ばれる」こと―で示すために、自分自身をずっと追い込んできた。周りに誰もいないなら、誰からも見えるところまで上り詰めてやる。
だけれどそれだけじゃなくて、この人になら、と思えた相手に素直に感情を吐露する可愛らしい面もある。全編通してキャラクターの心の揺れが手に取るようにわかる心情描写の手法自体もさることながら、アスカというキャラクターに与えられた自己の構造が非常に魅力的で、…なんかこんなこと言うとホント…ホントあれなんだが、私の中に少しだけ彼女に近いところがある。

妹に許されることが私には許されなかった。国立の中高一貫に進学し、有名私大に現役一般合格して、ファンド業界に就職。趣味も特技も充実していて、自分で振り返ってもどこにも後ろ暗さのない人生だけど、私の背中には、常に妹と私を比べ続ける視線が刺さっていた。といっても、一般的なそれとは少し違う比較のされ方かもしれない。
「妹には無理なんだから、あなたが頑張らないと」明確に言葉にされたことはないのに、日々の会話の端々か、その態度か、両親がそう考えているということがはっきりと分かってしまうのは何故なのか。妹はのびのびと息をしているだけで愛されているのに、私にはそれが与えられない。
「あの子はいいの、しょうがないの」「あなたお姉ちゃんなんだから」「当然できるでしょ」
勿論、そんなもの無視してしまって一向に構わなかったのだろう。私はこうありたいんだ、とご丁寧に自分に何度も言い訳を重ねてまで、両親の期待を優先する必要なんてなかったのだろう。けれど一度自分の能力のかたちを知られれば、もうそれを下回る形では愛されない。

だから、強くて美しい、アスカが好きだ。彼女は矮小な私のコンプレックスを増幅させ、拡張させ、そして幾度もその身を擲っては、悲哀のヒロインとして昇華してくれる。
アニメ版でも、旧劇でも、アスカはバッドエンドを迎えてきた。精神に異常をきたし、使徒に貪られ、淡い思いを寄せていた相手に首を絞められて。その顛末はすべて美しかった。「私を認めて!」「ほめて!」細胞中が叫ぶその声が視聴者以外の耳に届くことはなく、シナリオの中で打ち捨てられていく。
苦しいけど、悲しいけど、それは裏返せば、私と彼女は永久に共通し続けるということだ。

それが、今回は違ったのだ。
精神世界と彼女の記憶の狭間、泣きじゃくる幼いアスカの横に腰掛けた大きなパペットから顔を出したのは、28歳のケンスケだった。今作では大きな役割を持つ彼は、学生時代からだいぶ雰囲気を変え、それこそアスカがアニメ版で淡い恋心を寄せていた加持リョウジに対し形容していた「大人の男」として、赤いミトンの手袋で、あどけない顔でこちらを見上げるアスカの頭を撫でる。
「アスカはアスカだよ」
ああ、はじめて、彼女は救われた。一番言ってほしかった言葉を、いちばんしてほしかった行為と一緒に。その瞬間に、私の気管がぐっとつまり、目頭が熱くなって、そのあとすぐに涙がこぼれた。私を置いて、彼女は救われたんだ。アスカが居場所を見つけたことが心の底から嬉しくて、だけど私の胸の中にはロンギヌスの槍がぶっつりと刺さっている。
克服とか、自己肯定感とか、セルフエスティームとかもうそういうトレンドはもうお腹いっぱいなんだよな。誰かが認めてくれた。大切な一言を贈ってくれた。ただそれだけで救われて幸せになっていいほど、アスカはがんばった。何度殺されても、何度犯されても、この世界相手に立ち上がり、充分過ぎるほどがんばったのだ。
じゃあ、私は?


その他雑感
・ミサトさんはやっぱり髪下ろしてないと!!好き
・今作はみんなちゃんと説明してくれてて優C。よくわかった
・戦闘シーン最高だ~ マリとアスカがヴンダーから飛び立ってネルフ本部を目指すところ良すぎたな
・副長センパイ!
・ゲンドウ君のストーリーはアニメありきだな。端的に言うとチー牛だった
・ラストのカヲルくんとレイのツーショットはカップリングの意味合いは無いと思う。同胞としての親近だろうな
・ミサト「彼はまだ、私の保護監視下にあります」←好き
・いやっままままっマリ…マリは一体…マリが追加された時点でこれは運命に予定されていた…!?
・最後なんで神木隆之介にした?いや良いんだけど急に細田守っぽくなったな

2回目いこっかな~

!!???!?!???!?!?!