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家が僕に、日々小さな満足を拾わせる

「家選びは直感」というのはわりに正しいと思う、という話。

我が家は築40年の軽量鉄骨戸建、平たくいえばプレハブ小屋。同時期に開かれた山あいの住宅地の、まさに山にへばりついた一角に、そこに溶け込むかのように自然に古び、佇んでいる。
初めて見たときにその佇まいがいたく気に入ってしまい購入を決断した。

本当のところは、時代遅れの古くさい庭木、数々のいけ好かない残置物、カビ臭くほの暗い室内、水回りの邪悪な汚さなどなど、ためらう要素はたくさんあった。あったが、それでもなんか惹かれるものがあって、決めた。

そのときははっきり何に惹かれたかわからなかったけど、2回目に下見にきたとき、この家で幸せに暮らす画が浮かんだ。
もちろんその時は間取りもなんも決めてないし、子どもの顔もわからない。だからはっきりした絵図が見えたわけではないんだけど、頭のなかになんとなくあった「こういう暮らしがしたい」と「この家なら出来そうだ」が合わさってそんな風景が脳裏をよぎったような。


何かを選ぶときの人間の直感っていうのは概ね信用できると思っていて、それはつまり、嗜好であったり条件だったりが、言語化できてないまでも頭の中に散らばっていて、それらがうっすら繋がっていて網を作り、見たモノをフィルタリングする。なんか、そんな感じじゃないかと思う。


そんな直感に任せた経緯があるからか、住んでからの「あ、この家のここ、好きだなー」という再発見が多い。「この家は自分にとっていいものだ」というフィルターを通して日々家を見ているわけだから。

吹き抜けから落ちてくる光や、階段から窓越しに見える風景など。間取りも決めてない購入前では予想もしていなかった部分に日々発見と満足がある。
内装は天井以外跡形もなく弄っているので、趣味嗜好に合っているのは当然なんだけど、そこにも「こうしてよかった」の再確認が多く、住むほどに満足度が高まっていく。(不満が目に付くこともあるけどそこはそれ、持ち家なんて自分でいくらでも変えてやれるしな。)

わりに早い年齢で家を買ったので、これから買う人に助言を求められることもある。もちろん価格や駅徒歩など諸条件を極力満たすよう、探す努力は怠らないべきと思う。でも最後のところは直感で決めなよ、とアドバイスする。フィーリングが合っている家ならば、多少の条件の不一致なんて容易に吹き飛ばすと思う。


「お前は俺が好きだよな?」と、家に洗脳されている状態なだけの気もするけど、細かい満足を日々拾って過ごせるのは、なかなか幸せなことと思う。


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中古戸建を買い、DIYでリノベーションしながら暮らしています。
そんなことをブログにも書いてるんだけども、どうにも製作手順とかノウハウに寄りがちなので、「暮らしとか家とかモノに対する想い」をもうちょっと落ち着いて書きたいなと、そう思って気になってたnoteに手を出した次第です。DIYリノベについて知りたい人はぜひブログを。


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