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存在意義不明、それでも居ていいって事

十代のころから庶民レベルで宇宙について興味があって、ある時から底知れぬ恐怖にかられました。我々は何のために何をやっているのだろう。ビッグバンから長い時間をかけてなぜか我々はここにいる。そして宇宙に比べれば大したことはない事で生物、人類、民族、個人たちは騒いだり、怒ったり、喜んだり、悲しんだりしながら活動している。おおきなスケールで見ればこれらは本当にほんの些細な事、でもそれぞれの視点から見れば大変な大騒ぎ。そして時間がたつとそれぞれのスケールで終わりが来て、最終的には宇宙の今の状態も「滅び」に向かってゆく... なので我々を含むすべてが超馬鹿々々しい茶番のような気がして絶望していました。

さておいてここで、書いてみようと思っているのは私にとって  #心に残ったゲーム  NieR:Automata™ についてです。書いている内容は半分以上すでにこのゲームを遊んだことがある人向けになってしまいました。また自分以外の人が作ったビデオをいくつも添えています。ここで並べる考察の内容いくつもやネタなどはこれらのビデオの作成者のおかげで知ることが出来ました。

黒いレザーのドレスを翻し優雅で華麗に太刀を振り回す目隠しをした女性。その格好の良さにつられて、Steam の安売りにつられて買ってしまったこのゲーム、下心まるだしで始めてしまったこのゲーム、怖いくらいに心に響いたことを思い出します。

ゲームプレイ

遊び方は基本第三者視点のとても痛快なハック&スラッシュです。時には色々な形態の二次元的シューティングやサイドスクロールに切り替わりアクセントもあって退屈しないようにの気配りがされています。また解放されたエリアを自由に動き回って色々な物を探す楽しみもあります。ゲームの難易度変えることが出来て物語の展開も文句なしの素晴らしいゲームだと思います。

物語の始まり

遠い未来、宇宙人の侵略によって人類は月に逃げることを強いられていた。地球を取り戻すべく人間の為に戦うアンドロイド達、幾度となく繰り返された降下作戦の末、ついに長い戦いを終わらせられる時が来た。主人公のアンドロイドはその作戦に参加して人類の為にその身を挺するのだった... みたいな感じです。絶望的未来像に希望を持たせてくれる状況からゲームが始まります。

残りのゲームのストーリについては本当に長くなるのと、下手な私の文章からだとひどく劣化してしまうので書かないでおきます。チャンスがあれば是非プレイしていただいてストーリを知ってほしいです。

音楽について

BGMやカットシーンに使われる音楽はどれも素晴らしいもので、いる場所の雰囲気によく合わせられた本当に良い物でした。大体のよくできたゲームはこういった部分をしっかりやっていると思うんですが、このゲームでは音楽はおまけではなくてしっかりとした物語の一部分だと思います。下にわたしが特に好きな曲を流してくれる画像をいくつか添えます。

City Ruins / 遺サレタ場所

少しプレイすると多分気が付く曲です。私はそうでした。ゲームの始まりはとても忙しくてハラハラなので、初めて自由に行動できるような気がしたこのころ「人がここに住んでいた頃からしばらく時間がたったんだな」とおもったり「それでも今はこうやって落ち着いて生き物たちがいるんだな」と考えたりしました。落ち着いた雰囲気が良くて好きになった曲です

A Beautiful Song / 美シキ歌

この曲がかかるシーンはとても印象的でした。なので曲自体も大好きになってしまいました。何度も相手にするボスなのですが背景にある物語を知った時、戦うのがとっても忙しいのに涙がボロボロ出ました。ある思いを一途に追う者の健気ながら空しい狂気を感じて救われなっかた事を悲しく思いました。

Vague Hope / 曖昧ナ希望

あまり健康的では無いと思うのですが、この曲を聴くとこの物語の内外での色々な悲しい出来事をすべて優しく包みながら息を浅くしてゆき鼓動をゆっくりとしてゆく感覚に見舞われます。本当に悲しいと思うのにそれでもそっとほほえんで、光をみるような.... この曲で聞きながらよく眠ります、はは

Amusement Park / 遊園施設

このエリアもまた違った形で印象的でした。後に来たロボット達が依然ここにいただろう人間達の行動を模倣して、少し勘違いしながらかわいらしくふるまっている、そこを主人公たちは困惑しながら使命を背負った重い気持ちを持ちつつ進んでゆく。傍観者の私は遊園地にいった時に感じる、あの変な世界に連れていかれキツネにつままれたような感覚を持ちました。おそらくそれで好きになったのだと思います。

もう一つ、このエリアのこのゲームの音楽の仕組みの凄い事に気が付きました。曲自体は一切止まらず、エリアの個々の場所の違いや、主人公たちの状況に合わせて楽器や演奏の深みが変わってゆくんです!

NieR:Automata コンサート

これを見ちゃうと現実的過ぎる所もありますが、これらの音楽を作った人たちの音楽家としての素晴らしさがわかっちゃうと思います。

他にも心を揺さぶられる良い曲が沢山ありますがビデオがネタばれすぎてここには紹介できにくいです。


ゲーム内の哲学ネタ

たぶんこのゲームの物語の作者、ヨコオタロウさんは感受性の高いよく考える人だと思います。この物語には、主人公たちの存在理由、機械たちの存在価値、そして彼ら達が取ってゆく行動と報われない結果や表面的な無意味さや空しさについてを本当に考えさせられます。

少し話がずれますが私には病的な弱点があります。それは、本当に健気で報われない存在をみたり、その者達が挫折しそうになっていたり、してしまったりする様子をみると、酷く悲しくなって涙がどっと出てしまいます。のうのうと特に酷い苦労もせずに生きてきた自分が吸っている空気や食べている食物がもったいなくなってしまうんです。

このゲームを始める少し前にリンキンパークのボーカルだったチェスターさんが自殺して居なくなりました。そのこと自体も悲しかったのですが、彼が幼少のころに受けた苦しい体験に潰れそうな心を持ちながら一生懸命潰れてしまう事に逆らってきたのだという事と、彼が歌っていた詩と叫び声にはいじけた怒りではなくてこの事にたいして抗うんだというメッセージがきっと含まれていたに違いない解って悲しくなっていました。その少し前にやはり自殺によって亡くなった、そして彼がおそらく尊敬していたサウンドガーデンのボーカルのクリスさんの事があって、とうとう折れてしまったんだなとも解釈しました。そして優しく沢山の人を励ましてくれたこういった良い人たちが生きることをやめてしまうこんな世の中、私ももう居たくねえやと思ってしまう事もありました。

そんな時に翻るスカートをまといながら上品に戦うカッコいい女性が主人公の、そして日本製だからきっと面白いだろうと思って始めたこのゲーム... 実際はそんな軽いシロモノではなかった。

実存主義ネタ

おそらくこのゲームの一番のテーマであり哲学ネタである実存主義。主人公達は人類を守り、地球を取り戻すといった使命と存在意味をもって登場します。物語が進むにつれ、過去に起こった事を知ってゆくにつれ、実はこの使命は虚実を守るためであり、自分たちがふるってきた暴力や払ってきた犠牲も本当に無駄であったと気づきます。それでも自分の存在の意味にかけて前に進もうと健気に犠牲を払い続ける、その空しさや愚かしさにすこしは気づいてしまっても。一人は最後を迎えるとき持っていた使命に基づいて行動してきた事に意味があったのではなくて一緒に過ごした時間に本当の意味があったんだと気づきます。一人は使命を失った事と、その為に愛する人を払ったという犠牲が大きすぎて狂気に走ってゆきます。そして一人は早くに虚実に気づき憎悪のもと復讐を存在意義にして、その虚実を終わらせる為に放浪していました、でも復讐を終えた最後の時になって優しさを思い出す。

本当に救いの無い運命の主人公達なのだけれども、これで遊びながら轟轟涙を流して鼻をかんで思ったのは、それでもとても本当によい話だったなって感じた事です。出来れば登場した彼女ら彼らには幸せになってほしかったけれどそれぞれ美しく生きていったんだなと思いました。そしてとてもよかったのはゲームの終わりの部分で知らない沢山の人に助けられたことや同じようにだれかを助けるチャンスをもらえた事、そして本当の最後にわき役だった存在達がこの物語に希望をおいていってくれた事でした。

おそらく現実の沢山の人は自分の存在の理由を見つけようとしたり定義したりしてそれを基準に普段の行動と結果の判断をしているところがあると思います。たとえば「私は子供たちに知識を与えるために生きている教師です」とか「私は結婚したこの人とお互い寄り添って人生の大半を幸せに過ごすためにいるのです」とか「私は将来あの仕事についてあの目標を成し遂げるために生きてゆくのです」みたいな。他に聞く例だと「神様の為に神様のおっしゃった指針に向けて行動するために、私は存在している」とか。こう言ったことが見つけられて納得できている人々は存在目的・意義をよく知っているので目的や意義に沿っている間は「うまく行ってる」と思えるし、沿っていないときは「だめだ何とかしなきゃ」と思って行動の変更をしたり心を痛めたりできると思います、それが納得できているあいだは。

実存主義はこれに対して、自分や我々の存在には理由や意義が先あるのではなくて、「まず生きてしまってます、存在してます、そして行動が意義をあと付けで生むんだ」と考える方法みたいです。ごくごく当たり前なような、なにかが根本的に違っている様な。生きて存在して行動して、その存在価値や目的が発生するかもしれないみたいな。この考えはどうやらサルトルさんという哲学者が神の存在を否定され神から授かった存在の意味無くし困惑している人に伝えた考えらしいです。

この物語を通じてこの考えに影響受けて、長らく悩んでいた事について納得のいく答えがでたんです。私は哲学を真剣に学んでいないし作文も下手糞でなかなかうまく説明できないのですが、このゲームがどう「実存主義」に繋がっているかというと、まさに無意味な死を沢山もたらしむかえる主人公達、その仲間や敵たち、戦いながらも色々なほかの事に触れる機会があって、悲しんだり、怒ったり、喜んだり、一時には戦に勝つ事とは無関係な行動をしたりする。そういった一見わき道にそれた行動は存在意義に沿わないから意味が無くて無駄なのではなくて、やってしまった行動や偽の戦に勝つ為の行動も全部まとめてが存在意義を決めて行くんだ みたいな事なのかなと。

そして本当に面白いと思うのは、これがゲームであって、もしプレイヤーにあらかじめ決められていた存在意義があったとして、プレイヤーはこのゲームのプレイ結果によって実社会での存在意義にそって行動できたのかとなると大半の人々はそうでは無いのではないのかなと思うんですが、実存主義的に考えると遊んだことがそのプレイヤーの存在意義(の一部分)になるって事なのかって。メタ大好きだからこういった話を作るヨコオタロウさんは面白いと思いました。

近代の先進国は昔に比べるとかなり平和で歯を食いしばってくたびれきるまで何かを頑張らないとすぐに死んでしまう事は無いと思います。変な話、適当にだらだらしていても生きてしまっていれる。だから人生の使命や目的を強く信じれるきっかけがあまりなくて、私みたいな弱い人は特に「存在に意味が無くなったと思う、もう人生に意味が無いから生きていてはいけない気がする」なんて思ってしまうんだろうと考えます。サルトルさんはこんな状態を「自由の刑」って呼んでたみたいです。

だから私も「役立たずだからいなくてもいい、いるのはよくない」とは思わないで「何かしたら役に立ったかも、うれしい」みたいに考えをかえてゆこうかなと思えたんです。あとは怠慢になったりむやみに権利を主張してばかりにならないようにしないと。

登場人物達の哲学ネタ

ここではゲームに出てくる色々な興味深い哲学がらみのネタをいくつか並べてみようかと思います。

主人公2B:彼女の名前は哲学ネタだと言われればすぐに判っちゃうと思います。シェイクスピア書いたのハムレットに出てくる悩みのつぶやき "To be or not to be" の "To Be" じゃないかと...

主人公9S:彼の名前にも伏線があるらしいのではという意見を聞きました。 9Sの由来はシェイクスピアの "Sonet 9" に絡んでいるのではないかと。この詩でシェイクスピアは「若者(の男性)は妻を得るべきであり、子を授けるべきである。それをしないことはとても無駄な事で、妻になれなかったある女性一人を一生悲しませ、子を産まなかった事で人々を悲しませる。そしてしない事は殺人的な恥を負うことになり、愛を誰かに与えることが出来なかったナルシストでダメなやつだ」みたいな強烈な事を言っているらしいです。少子化の進む先進国の日本では多分めちゃきつい意見ですがこれがどう9Sに絡むかというと「2Bと一緒になれなかった、妻を得て愛を与える事ができなかった彼は無駄なのか」ってことなのかとおもいます。彼の場合は選択肢がなかったからちょっと苦しいですね。

ボーヴォワール:この名前で有名な哲学がらみの人でシモーヌ・ド・ボーヴォワールさんという方がいらっしゃったらしく、この方がさっき上げた実存主義のサルトルさんに近い存在だったらしい。物語の中ではボーヴォワールは遊園地のボスで、とある男性的ロボットに「恋」をしてしまい、彼に気づいてもらい愛してもらう為に自分をより「女性として美しく」してゆく事を初めて、そのプロセスでほかのロボットやアンドロイド達を取り込んでしまう。それでも空しいかな彼には興味を全く持ってもらえない... この悲しい話は実際の方のボーボワールさんとサルトルさんの関係に少し似ていたらしく、実際はサルトルさんがボーボワールさんに対して恋をしてゆく女性たちをみてボーボワールさんに嫉妬をしてその女性達を誘惑しようと努力していたらしいです。

目隠しと口隠し:ある人が面白い事を言っていました。ヨルハ攻撃部隊は制服として目を隠しています。そしてオペレーターの人たちは口を隠しています。さらに司令官は目も口も隠していない。その人の推測によると、目を隠しているのは真実を見ることが出来ないようにされているから、口はそれを語ることが出来ないようにされているから、そして司令官は知ってもいるし語ることもできるからじゃあないかと。

パスカル:数学で有名なパスカルさん、以前は知らなかったのですが実は神学と哲学でも有名らしいですね。ある人の解釈によるとパスカルさんが提唱した「パスカルの賭け」の「神を信じることの方が、信じないことよりも良い賭けになる」と言った事に対して人々が神を信じ無い事に対して恐怖を覚え信じてしまう事と、物語のパスカルが子供ロボットたちに恐怖の概念をおしえたためそして殺されてしまうかもしれないという恐怖の為自らの命を絶って行った事が絡んでいるのではといってます。これも考えされられながらやるせない悲しい気持ちを感じました。自分は無神論者ですが「パスカルの賭け」とても面白い考えだとも思いました。

レジスタンスキャンプの行商人:物語にはある行商人が出てきて主人公たちに依頼をします。体の壊れたところを交換するために色々な部品を取ってくるように頼んでくる話なんですが、主人公たちが部品を持ってきているのに最後の壊れている足を交換しようとしないんです。そして主人公たちが「直すことが出来るぐらい部品があるのになんでしないの」と尋ねると、長年を通じで体のほとんどの部分は交換してしまい、壊れて使えない足が自分のオリジナルで残っている最後の部分である事、これを変えてしまったら彼は彼といえるのか、彼はまったく新しい存在になってしまうのではと疑問を持っていることを伝えます。これが「テセウスの船」といわれるパラドクスにそっくりでこれまた存在の定義として面白いネタなんじゃないかと。そしてこの考察をしたひとは「ヒトの細胞は毎日死にゆき再生を繰り返している。なのである30歳の人体には10歳の時にあった細胞を一つも持ってはいない。それでも同じ人なのか」なんて言っています。ふと思うと20年前の自分は全然違う人物だったような気がします。

おまけ

参考にしたビデオエッセイ

How NieR: Automata Tells the Ultimate Humanist Fable
Nier: Automata Review | The Masterpiece You (Probably) Won't Play
他にも沢山レビューや分析の意見があります
興味がわいたら見てみてください

最後に

まずここまで私のまとまらない文章を部分でも読んでくれた方ありがとうございます。このゲームがとても深みのある物で自分の中では今まで遊んだ数々のゲームの中で一番記憶に刻まれました。このゲームで感じた事や、このゲームを分析してくれた人たちの意見、ゲームがネタで使ってくれた哲学の考え方などが長年悩み続けた自分の存在意義についての疑問への答えを見つけさせてくれた気がした事、そして毎日のように聞かされる酷い話が起こるこの世界に空しく思いながらもやはり抗って生きてゆかなければと思わされた事などが Nier:Automata を私の心に残ったゲームとして選んだ理由です。

ゲームを楽しめる方で40時間ぐらいは時間が持てる方、そして激しい感情の揺れを体験しても落ち込まないか立ち直れる方でかつ、まだこれを遊んでいない方に是非このゲームをお薦めしたいと思います。


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