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桜会会長

2021年04月15日11時23分
大好きなじいちゃんが息を引き取った。

3月の頭に意識が朦朧となり即入院、それから1ヶ月超あっという間の時間だった。
コロナ禍という事もあり、1度も直接顔を合わせられないまま旅立ってしまったよ。
今日の事はずっと忘れないだろうけど、
自分の言葉でしっかり残しておこう。

じいちゃんは人一倍、礼儀や義理人情を大切にする人で正義感の強い優しい人だ。
勉強熱心で読書家で、毎朝新聞を隅から隅までチェックして、全てファイリングしてとっておくようなマメなところも印象的で。
町内会の活動もいつでも熱心に取り組んで、町では人気者の有名人だったと聞いた。
最後の集まりも、体調が悪いのにも関わらず、立場もあるし挨拶をしなきゃだからと無理をしてまで行ったみたいで、ああやっぱりじいちゃんだと思った。

クレイジーで特殊な家系で育った私が、唯一心が穏やかになれる貴重な存在がじいちゃんで。
わかりやすく気持ちを伝えてくれる訳ではないけれど、じいちゃんだけはいつでも味方でいてくれているような気がした。

親が離婚してからは会える時間もどんどん減っていったけれど、たまに顔を見せに行くと喜んでくれたね。父さんやばあちゃんは時折とんでもなく下品で最低な事を言ったりするけれど、じいちゃんだけがいつもそれを宥めて注意していて、その姿が今でも脳裏に焼き付いている。見たくもない怒鳴り声での喧嘩も、今日は私が止める事になったよ。あれをこれから誰が止めてくれるというの?

活動的過ぎるが故に、ばあちゃんや父さん達にはいつも怒られっ放しのじいちゃんだったけれど、私だけはずっとじいちゃんの味方でいようと心に決めていたし、何があってもじいちゃん一派であり続けるよ。本当にありがとうね。

コロナ禍での面会は、患者が危篤状態でも、病室に入れるのはたったの1人で。私たちはタブレットを使ったオンラインでの対面となった。病院から連絡をもらって私達が着くまでにも結構時間は合ったはずなのに、充電が切れてるタブレットを持ってこられて正気の沙汰ではなかったけれど。充電コードが短すぎてタブレットを机に置けないのは目に見えてたはずなのに、延長コードを探しに再度どこかに行ってしまう病院サイドには不信感が募ったけれど。この状況で、お忙しい中ご対応ありがとうございましたではあるけれど。

それでもこんなご時世の中、おかげ様でオンライン上でじいちゃんと会う事ができた。私たち家族の問いかけに、意識は朦朧としながらも、うんうんと頷いてよく反応してくれたね。苦しそうな中でも声はしっかりと聞こえて、じいちゃんの最後の頑張りがすごく伝わった。
唯一病室に行けたばあちゃんは、病院に着いた瞬間に父さんが渡していたボケチェックシートの用紙を丸めて、じいちゃんの耳にメガホンとして突き刺していたよ。最期まで裏切らない。

それから私たちが病院を後にして、約1時間後には呼吸が止まったという連絡が来た。
初めて家族が病院に来られて安心したのかな、はたまた相変わらずうるさいから嫌になっちゃったかな、どちらにせよじいちゃんは80歳で生涯を終えた。

色々な手続きや説明、葬儀屋の手配など諸々の準備をしている間に、父さんだけが先生と看護師に呼ばれ、じいちゃんのいる病室に入った。
よくドラマで見るような、何時何分ご臨終ですが行われたと後から聞いた。まだ身体があったかくて生きてるみたいだったと聞いて、叶うならば生き返って欲しかった。コロナ禍だと、病院では亡くなった後さえも、みんなでは会えないという事実がまた辛かった。その時の私はまだ、顔を合わせる心の準備ができていなかったけれど。
その話をしている時に、初めて父さんが泣いた。父さんの涙、久しぶりに見たな。

それから葬儀屋が来て、じいちゃんを自宅に運ぶ準備が始まった。ストレッチャーに乗せられたじいちゃんが、私たちの目の前にやってきた。顔や身体は布で覆われて見えなかったけれど、死という事実が重くのしかかった。みんなはそれぞれの車で自宅まで向かうというので、ばあちゃん一人では到底心配で、私が一緒に霊柩車に乗った。地下駐車場の霊柩車までのエレベーター、そこで初めてまじまじと主治医の先生と看護師の姿を見た。なんだか複雑な気持ちだった。どうにかならなかったのかと思う反面、どうにもならない事もあるのが世の中なのか?

じいちゃんが久しぶりに家に帰って来た。
霊柩車から降ろされ、敷布団の準備をした。
いつもじいちゃんが寝ていた畳の部屋に、布に覆われた遺体が運ばれて来た。
覆われた布が上から一枚ずつめくられ、ついにじいちゃんの顔と身体と対面した。
小さく痩せ細った姿だったけれど、思った以上に安らかな顔をしていて少しだけ安心した。
私とじいちゃんだけの空間で、冷たくなった手を握って、顔を触って、自分の気持ちを初めてしっかり伝える事ができた。
いつもの眼鏡をかけて綺麗な顔で眠る姿は、いつもの早寝のじいちゃんでしかなかった。
今すぐにでも飛び起きてガハハと笑っておくれよ。

それから遺体の横でみんなで葬儀屋の話を聞いた。これからやるたくさんの事を、家族みんなで聞いている時も、ばあちゃんは通常運転トンチンカンで、話の腰を折る質問をしまくっていた。どうにもならずに笑うしかない状況が、今日も何度も訪れた。まあじいちゃんからしたら、これがいつも通りの光景なんだろうけど。
その後なんて、遺体の横で怒鳴り合いの喧嘩が始まるんだもん参っちゃうよ。
この期に及んでクレイジーな親子だし、これじゃあじいちゃんも相当大変だったよね。
ねえ静かに眠るじいちゃんが起きちゃうからやめてよ。

葬儀屋が帰った後、バタバタで町内会の方々に訃報の連絡を入れた。
入院時、一緒に病院に行ってくれたおじさんが一目散に来てくれた。その後も、知らせを聞いた仲間達やご近所さん方が、ぞろぞろと顔を見に来てお線香をあげてくれたね。
みんな口を揃えて、本当に色々とよくやってくれたと町の有名人で人気者だと。じいちゃんがいなくなったら誰がやるんだと。いつもの大きな声やガハハと笑う笑い声が聞こえなくて静かだと。町内会での絶大な信頼や勤勉な姿がよくわかり、孫として嬉しかったし誇りだよ。

じいちゃん
たくさん旅行に連れて行ってくれて
美味しいものを食べさせてくれて
遊びや勉強を一緒にしてくれて
時に秘密でポケットマネーをくれて
穏やかな気持ちを抱かせてくれて
いつでも優しさを分け与えてくれて
怒ったり笑ったり色々な表情を見せてくれて
本当にありがとう

また毎年お正月恒例の
2人で行くセブンイレブンへのおつかい
ばったり会って食べるきらくのおそば
絶対に行こうね

大切な大切な時間だった

愛してるよ会長!

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