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『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.89「NVC人と人との関係にいのちを吹き込む法」

非暴力コミュニケーション(Nonviolent Communication)。
先日、初めてこの言葉を聞いて、興味を持った。何故なら、暴力的な人がめちゃくちゃ苦手だから。暴力に逃げるのは卑怯な人間のやり方だ。だから僕は早速この本を手に取った。

世界中で読まれている「対話」の教科書。1984年に設立されたCNVCでは60以上の国で数百人の公認トレーナーやサポーターが活動しているのだそう。

人から一方的に決めつけられ批判されるような局面では、どうしても自分を擁護したり、身を引こうとしたり、反撃したりしがちだ。しかし、NVCに切り替えることで、自分と相手について、自分の意図したことについて、相手との関係について新しい視点からの理解が可能になる。その結果、抵抗や防衛、暴力といった反応は最低限に抑えられる。評価や判定を下すことに注意を向けるよりも、観察し、感情に気づき、何を必要としているのかを明確にすることに集中すれば、深い共感へとつながることができる。

事実と解釈を明確に切り分けて考えるのと同様、観察し、感情に気づき、何を必要としているのかを明確にすることができれば、対話はうまくいく。これは一朝一夕に身につくスキルではないけれど、訓練していけば上達するはずだ。頑張ろう。

さらに本文からの引用。

「~と感じる」という表現は、実際には感情を表現していない。そこで混乱が生じてしまう。たとえば、「わたしは公平な扱いを受けなかったと感じる」という場合、「感じる」という言葉ではなく、「思う」と表現するほうが的確だ。「感じる」という言葉を次のように使うと、感情そのものを表現していない場合が多い。

・「あなたはもっとよく知るべきだと感じる」
・「わたしはいつも待機させられているように感じる」
・「上司にうまく操られているように感じる」

逆にいえば、感情をありのまま表現する場合は「感じる」という言葉は必要ないということだ。「いらいらしている」あるいは「いらついている」などといえばすむ。
(中略)
A 今の自分をどう思っているか
「わたしにはギター奏者の才能がないと感じる」

これは自分の感情を明確に表現しているのではなく、
ギター奏者としての自分の能力を評価する言い方だ。

B 実際の感情
「ギター奏者としての自分にがっかりしている」
「ギター奏者としての自分にがまんならない」
「ギター奏者としての自分に不満がある」

「才能がない」という表現の背後には、がっかり、がまんならない、不満である、などの感情が実際にあるということだ。

文章を書いていても、「~と感じる」と書いてしまうことは多いけれど、NVCではそこを明確に切り分けて考えている。「~と感じる」という表現自体、感情の表現としては適切ではない。

NVCで着目すべきは自分自身のニーズ。そこにどんな満たしたい自分のニーズがあるのか。感情というのは、それを自分自身に教えてくれる役割を担っている。まずは自分自身が自分のニーズに目を向けて、そこに気づいてあげること。これを大事にしていきたい。

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