風呂場にしては重い日記 |24.2.27.
2024.2.28. 0:10。日記を書くという自分との約束を守るため、指を動かしている。風呂に湯を沸かして、浸かっている。
これから書くことは、たぶん重い内容、重めの記録なので、どっぷり浸かっちゃいそうな人は、湯からあがってください。
今日は1日中仕事をした。した、とうより、仕事を進めようと時間を費やした、が正しいだろうか。
朝は7時に目が覚めた。アラー厶なしで8時前に目覚めたことに、余裕があると感じて「おっし」とガッツポーズをした。
予めスケジュールを組むということに慣れていないのに、それが必要な仕事をしている。そのことに気がつくまで、1年がかかった。いつも見切り発車。今今に精一杯で、鬱屈とするサイクルを繰り返している。現状の生活と一緒。わたしはだらしない。
最後にいつしたかも分からないヨガをしてみてら、気持ちがよくなって、仕事に向かえる気持ちができた。beライフのマリコ先生の20分の動画。
10:00頃、ガストに行って仕事をはじめる。1時間で終わらせようと思ったことが、2時間かかる。やることが決まっていれば早いが、自分で判断をする必要を発見すると、それに時間を食う。どれを選択するのが正しいのか、間違えないように慎重になる時間。一度こうと決めて、その旨を報告するべくチャットを書き込む。書き込むうちに別の声が聞えて、あらゆるリスクや判断の可能性を提示してくる。そうしているうちに、10分20分と時間は過ぎて、しばらく経つとフリーズする。
13:30からはリモートで会議。わたしはこの会議にすごく臆病になっている。一度怖いと思ってしまったことがあって、それはその時のことだけだと、頭では分かっているが、常態化してしまって、緊張がとれない。いいたいことがあっても、飲み込んでしまう。
いいたいことがあるのに言わないことに、ダメだなと自分にジャッジを下す。実際にジャッジを下す時は、自分以外の像が下してくるので、その人のことが苦手になる。
主観的には怖くて自分と合わない人だけど、一歩引いてみれば、自分が像をつくり解釈をし、そう思い込んでいる現象だといえる。この主観と客観でわけがわからなくなる。理解はしていても、どっちの意見を採用して進めればいいのか、よくわからなくなる。なぜならどちらも正しくて正しくないから。
限界を感じると、同性の仲の良い上司の人に相談する。大勢の人に相談するのは怖いので、その人と2人の時間をつくってもらう。寄り添ってはもらえて、自分が嫌なことも引き受けてくれる。
でも、その人もいっぱいいっぱいで、このままではいけないな、と思う。今必要としている優しさじゃないと直感的にわかる。このまま嫌なことを任せていたら、自分の力や自信をどんどん失っていくだけだと、なんとなく思う。もうすっげー嫌だけど、やっぱり自分で決めて進めなければいけない。責任論は大嫌いだけど、責任が自分の補助になることを忘れてはならない。
本当は今日の夜、友だちの家でご飯を食べてしゃべる約束だった。仕事とはいえ自己都合で、約束を直前まで引き伸ばして、結局いけなくて、電話だけでもしたいと夜に約束して、引き伸ばした。電話しながら仕事もした。その場で言えばわかってくれると思って、事前に伝えなかった。これは、友だちの優しさにかまけてしまったなと思った。実際、今日の電話はあまりうれしそうじゃなかった。
できない理由を探してるだけじゃん、という言葉が嫌い。でも、事実としてそれが自分の首を絞めていることも、理解できてしまいそうだ。いや、しているんだと思う。だけどまだ、受け入れられない。
変わった方が幸せになれる。
変わらないものを置いていけない。
自分がうずうずしているあいだに、周りはどんどん変わっていく。
その変化に応じようと藻掻くうちに、周りに比べて自分が変わっていることに寂しくなる。
自分の人生に責任を負っていくのか。
無責任に生きられない社会を拒んでいくのか。
どっちを選ぶのがいいのか、決めきれない。
ただ、公開日記を1ヶ月続けようと決めて、その約束がもうすぐ果たされそうだという事実だけが、今、ここにある。
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