他人より働かない恐怖
新年度です。新卒や転職で入社された方、ご入社おめでとうございます。特に節目でない方、今年度も頑張りましょう。
新年度の抱負ではないのですが、私は今働き方を大きく見直しています。
去年仕事もプライベートも苦難が集中しメンタルダウンしました。今年はその反省を活かし、過剰に1人でタスクを抱え込んだり品質を追求することを辞めます。具体的には一切のサービス残業、深夜早朝土日の稼働を自分に禁じます。月の残業時間は20時間を自分の中の上限にします。これは口で言うより難しいことだと思っています。また同僚、特に仕事にコミットしやすい〜30前後の人と比べると確実に労働時間が減ります。長く仕事にコミットできる人の方が高い評価を得やすいのは事実です。この恐怖にも打ち勝つ必要があります。それでも今後の人生を見つめ直した結果、私は働き方を変える決断をしました。今回はその決断に至った経緯や”時間をかけて品質あげる病”からの脱却の話をします。
仕事も家庭も崩壊し適応障害になる
昨年仕事でトラブルが続出し私の負担が異様に高くなった時期がありました。当然帰宅は遅くなり喧嘩が増え、夫婦関係は過去最悪の状態に陥りました。家庭から逃げるように仕事をし、何とかメチャクチャな仕事をやっつける日が続きました。
紆余曲折あり夫とは何とか和解し家庭の問題は終結しました。同時に仕事も何とか片付きました。しかしトラブルが解決した後当時の上司からこれまでの仕事の経緯ややり方についてネチネチダメ出しをされ、そこで今まで耐えていた心がポッキリ折れてしまったのです。
上司の言い方も問題があるとは思いますが、振り返ると私の認識が甘かったなと反省しています。当時の私は自分が無理をすることを美徳のように感じていましたし、自分の工数を上げる以外に解決策を探さなかったのです。(というかエスカレーションしても上司が何もしなかったからそうせざるを得なかったんで、やっぱり上司が悪くないか?と思わなくもないですが…)
結果私は適応障害になり休職することになりました。休職時の話は以下に書いていますので興味があればご覧ください。
時間をかければ品質が上がるという幻想
振り返れば当時の私は「とりあえず手を動かす」という選択をしがちだったのです。要因は2つあると思っています。1つは他にメンバーがいなかったこと。もう1つは何かしら手を動かせば成果が出ると思っていたことです。特に後者の方が問題で、手を動かす前にそのタスクを何故やるのか、誰がやるべきなのか、いつまでにやるのか等を関係者と認識合わせしないまま突っ走っていました。結果上司と認識が合わないまま進み、後から指摘を受けることになってしまいました。
要するに自己満で仕事をしても意味がないのです。要求されていることを正確に理解してそれに応じた結果を出すのが仕事というもので、個人がどれだけ工数割いて苦労したかは問題ではないのです。今でもつい「家帰ってから〇〇の資料きれいにしよう」とか「土日に△△の箇所見直すか」と考えがちですが、そう考える度に「本当にそのタスクはサービス残業してまでやる必要があるのか?」「時間をかける前にそもそもこのタスク上司と認識合わせできているのか?」と自分自身に突っ込みを入れるようになりました。
働かない≠努力しない
働く時間を短くするということは単に努力しないということではありません。無暗な努力を辞め、意味のある仕事の仕方を模索するということです。結構頭を使いますし、今まで以上に仕事について真剣に考えることになります。正直やりながらしんどいなと思っています笑。それでも去年のような失敗は二度としたくないため、私はこの試行錯誤の日々を前向きな変化にしようとしています。
また単純に時間だけ考えると他の人の方が貢献しているのではないかと不安になりがちですが、そこは気にしてもしょうがない部分だと思っています。年齢や家庭環境で仕事に割けるキャパは変化するものですし、仕事に対する向き合い方が人それぞれ異なるのは自然なことです。それに誰か優秀な1人だけの力でうまくいくほど仕事は単純ではありません。あくまでチーム戦ですし他の人が優秀という理由で自分の給料が減ることもありません。そこは考えても仕方のない要素ですから素直に優秀な人の能力を認めて自分は自分、の気持ちを私は持つようにしています。
春先は気候が穏やかになるのと同時に、エネルギーに溢れた人やモノに触れて疲れが溜まりがちです。自分の価値観を忘れずお互いマイペースに生活していきましょう。
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